市丸中将の最後の言葉:ルーズベルト大統領に物申す

抜け出せ自虐史観
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ルーズベルト大統領への手紙

今回は大東亜戦争で最大の激戦地、硫黄島で戦死された市丸利之助(りのすけ)海軍中将がアメリカ合衆国のルーズベルト大統領に宛てた手紙を御紹介したい。

靖国神社の遊就館展示室の一番最後の本土決戦のコーナーのガラスケースには

「ルーズベルトニ与フル書」

がある。

この手紙は、昭和20年(1945年)326日(公式)に硫黄島で戦死した市丸利之助海軍中将(最終)が硫黄島の暑くて暗い洞窟の中で書いた米国大統領ルーズベルトへの書簡だ。

市丸少将は日本が玉砕した昭和203月の硫黄島の戦いで戦死したが、その最後の状況ははっきりしておらず、遺体も不明のままになっている。


しかし、亡くなる前にしたため、日系二世の三上弘文兵曹に英訳させた手紙がアメリカ軍の手に渡ったことで、彼の名は一躍、有名になった。

この手紙は

日本を追い詰めて戦争を起こさせたアメリカを真っ向から非難し、それまでの白人支配の帝国植民地主義に立ち向かって、白人支配からの解放を目指す大日本帝国の大東亜共栄圏構想の立場を説き、さらにはアメリカの勝利の意義に疑問を投げかけて終わっている。

戦後、先の戦争を自分自身の負い目にしてしまってきた多くの自虐的思考の日本人が、負けたゆえに不当に負い続けていた戦犯国の汚名を晴らし、もう一度日本の誇りを取り戻そうという思いを抱く大きなきっかけになると思うとので、是非、ご紹介したい。

今まで一度も目にしたことがない人は言うに及ばず、昔に読んだことがあるという人でも再度、静かな気持ちでじっくりと一人で読んで見て欲しい。

自然に涙が自分の頬をつたうのに気づくだろう。

市丸利之助という男

手紙の本文をご紹介する前に、簡単に市丸中将のことについて書いておこう。

昭和1911月、第27航空戦隊司令官として硫黄島に着任した市丸少将は、昭和20219日に上陸してきたアメリカ軍との間で行われる熾烈な戦いの中、すでに自分の運命を予感していた。

あの激しい擂鉢山の戦いで「擂鉢山の6人」のアメリカ人が星条旗を揚げたのは223だ。

擂鉢山に揚げられた星条旗は翌日、翌々日、朝になると日章旗に変わっていた。
闇夜に紛れて日本兵が星条旗を日の丸に(二日目は血で描いた日の丸だった)変えに来ていたからだ。
その様子に恐怖を感じたアメリカ軍は躍起になってその周辺の草むらや洞窟を火炎放射器で焼き尽くした。その後は日本の旗が擂鉢山に揚がることはなくなった。

この硫黄島の激しい闘いの様子は以前に記事にしているので↓↓そちらも併せて読んでもらえると、この市丸少将の手紙がより心に伝わるだろう。

(「硫黄島に突き付けられたアメリカ国旗:壮絶な死闘

37日には「海軍と中央の不手際を責めた内容」の総括電報が栗林中将の名前で打電され、314日には日章旗が奉焼され(焼かれ)た。

そして昭和20317日、栗林中将のあの有名な決別の電報が打たれた。
その最後には

国の為重き努を果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき

という句が添えられていた。

おそらく同日、市丸少将はこの「ルーズベルトに与うる書」を書き、二世の兵曹に通訳をさせたと考えられている。
つまりこの書は、市丸少将の遺書でもあった。

市丸少将が、最後の突撃攻撃を行って散華されたのは、1945年3月26日。
その9日前の3月17日、少将は地下20メートルの洞穴に動けるものを全員集め、副官である間瀬中佐が「ルーズベルトニ与フル書」を読み上げた。


朗読が済むと、この書の和文のほうを通信将校の村上治雄海軍通信参謀が腹に巻きつけ、英訳文のものは航戦参謀の赤田邦雄第二十七航空戦隊参謀が身に付けた。

市丸少将が書いた遺書が、アメリカ軍の手に渡るように、敵がチェックすることを見越して、少将は手紙の原文と英語訳を、それぞれ突撃する別の将校の体に身につけさせたのだ。


そして市丸中将は、栗林中将とともに、軍服にある一切の肩章を外し、ひとりの皇国臣民として、最後の突撃を行い散華されたと伝えられている。


彼らが戦死した後、市丸少将の目論見通り、日本文の手紙は村上参謀、英文は赤田参謀の体に巻かれた状態で米軍に硫黄島北部の洞窟内発見された。

手紙の内容

それでは現代口語訳で手紙を読んでみて欲しい。

『ルーズベルトに与うる書』

日本海軍市丸海軍少将が、フランクリン・ルーズベルト君に、この手紙を送ります。

私はいま、この硫黄島での戦いを終わらせるにあたり、一言あなたに告げたいのです。


日本がペリー提督の下田への入港を機として、世界と広く国交を結ぶようになって約百年になります。


この間、日本国の歩みは困難を極め、自らが望んでいるわけでもないのに、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、支那事変を経て、不幸なことに貴国と交戦するに至りました。


これについてあなたがたは日本人は好戦的であるとか、これは黄色人種の禍いである、あるいは日本の軍閥が悪いのだとしています。

しかし、それは余りにも的外れなものといわざるをえません。


あなたは、真珠湾の不意打ちを対日戦争開戦の唯一つのプロパガンダとしていますが、日本が自滅から逃れるため、このような戦争を始めるところまで追い詰められた事情は、あなた自身が最もよく知っているところです。

畏れ多くも日本の天皇は、皇祖皇宗建国の大詔に明らかなように、
養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を三綱とする八紘一宇という言葉で表現される
国家統治計画に基づき、地球上のあらゆる人々は、その自らの分に従ってそれぞれの郷土でむつまじく暮らし、恒久的な世界平和の確立を唯一の念願とされているに他なりません。

このことはかつて、

 四方の海  皆はらからと 思ふ世に  など波風の 立ちさわぐらむ


という明治天皇の御製(日露戦争中御製)が、あなたの叔父である
セオドア・ルーズベルト閣下の感嘆を招いたことで、あなたもまた良く知っていることです。

わたしたち日本人にはいろいろな階級の人がいます。
けれどわたしたち日本人は、さまざまな職業につきながら、
この天業を助けるために生きています。
我々帝国軍人もまた、干戈(かんか)をもって、
この天業を広く推し進める助けをさせて頂いています。

わたしたちはいま、豊富な物量をたのみとした貴下の空軍の爆撃や、艦砲射撃のもと、
外形的には圧倒されていますが、精神的には充実し、心地はますます明朗で歓喜に溢れています。

なぜならそれは、天業を助ける信念に燃える日本国民の共通の心理だからです。
けれどその心理は、あなたやチャーチル殿には理解できないかもしれません。
わたしたちは、そんなあなた方の心の弱さを悲しく思い、一言いいたいのです。

あなた方のすることは、白人、特にアングロサクソンによって世界の利益を独り占めにしようとし、
有色人種をもって、その野望の前に奴隷としようとするものに他なりません。
そのためにあなたがたは、奸策もって有色人種を騙し、
いわゆる「悪意ある善政」によって彼らから考える力を奪い、無力にしようとしてきました。

近世になって、日本があなた方の野望に抵抗して、有色人種、ことに東洋民族をして、
あなた方の束縛から解放しようとすると、あなた方は日本の真意を少しも理解しようとはせず、
ひたすら日本を有害な存在であるとして、かつては友邦であったはずの日本人を野蛮人として、
公然と日本人種の絶滅を口にするようになりました。

それは、あなたがたの神の意向に叶うものなのですか?

大東亜戦争によって、いわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、それぞれの民族が善政を謳歌します。
あなた方がこれを破棄さえしなければ、全世界が、恒久的平和を招くことができる。それは決して遠い未来のことではないのです。

あなた方白人はすでに充分な繁栄を遂げているではありませんか。
数百年来あなた方の搾取から逃れようとしてきた哀れな人類の希望の芽を、
どうしてあなたがたは若葉のうちに摘み取ってしまおうとするのでしょうか。
ただ東洋のものを東洋に返すということに過ぎないではありませんか。

あなた方はどうして、そうも貪欲で狭量なのでしょうか。
大東亜共栄圏の存在は、いささかもあなた方の存在を否定しません。
むしろ、世界平和の
一翼として、世界人類の安寧幸福を保障するものなのです。

日本天皇の神意は、その外にはない。
たったそれだけのことを、あなたに理解する雅量を示してもらいたいと、わたしたちは希望しているにすぎないのです。

ひるがえってヨーロッパの情勢をみても、相互の無理解による人類の闘争が、
どれだけ悲惨なものか、痛歎せざるを得ません。

今ここでヒトラー総統の行動についての是非を云々することは慎みますが、彼が第二次世界大戦を引き起こした原因は、第一次世界大戦終結に際して、
その開戦の責任一切を敗戦国であるドイツ一国に被せ、極端な圧迫をする
あなた方の戦後処置に対する反動であることは看過することのできない事実です。

あなたがたが善戦してヒトラーを倒したとしても、その後、
どうやってスターリンを首領とするソビエトと協調するおつもりなのですか?

およそ世界が強者の独占するものであるならば、その闘争は永遠に繰り返され、
いつまでたっても世界の人類に安寧幸福の日は来ることはありません。

あなた方は今、世界制覇の野望を一応は実現しようとしています。
あなたはきっと得意になっていることでしょう。

しかし、あなたの先輩であるウィルソン大統領は、そういった得意の絶頂の時に失脚したのです。
願わくば、私の言外の意を汲んでいただき、その轍を踏むことがないようにしていただきたいと願います。

市丸海軍少将

 

自虐史観から抜け出そう

この手紙は日本を煽って戦争に仕向けたアメリカの欺瞞を糾弾しつつ、「ファシズムとの戦い」という大義名分を叫びながらも、一方では有色人種の人権を踏みにじっているという大いなる矛盾をとてもよく突いたものだと思う。

「お前は今勝ったと思って得意になっていようが、その勝利は決して真の勝利ではない。」

と市丸少将が言った通り、戦後、かつての白人の支配者の元から、大日本帝国が望んだように、多くの国が立ち上がり独立を勝ち取って行った

貪欲で狭量な大国たちが被支配階級の代表として戦いに奮起した日本を叩き潰し、極東国際軍事裁判において二度と自分達に逆らえないように図らったにもかかわらず、そのように動き出した世界の被支配階級の大きな流れを押しとどめることすらできなかった結果だ。

そして市丸少将の

どうやってソ連と協調するつもりなのか

という言葉は、戦後アメリカをずばり言い当てている。

我々は東西冷戦というものを過去の事実として歴史で習うが、市丸少将はその何十年も前から予見していた。


「得意の絶頂の時にウィルソンが失脚した」ように、得意の絶頂のフランクリンルーズベルトは、手紙が書かれたわずか一ヶ月後412日に死亡したため、これを読むことはなった。

このルーズベルトといえば、学校では絶対に教えてもらえない決定的な人種差別主義者だったことを添えておく必要があるだろう。なぜなら、彼のこの人間的一面と彼らの周りにいた共産主義者たちが日本を戦争に駆り立てていったことは否めない事実だからだ。

そしてルーズベルトはただの人種差別主義者でない。

完全に日本ヘイトの差別主義者だった。

イギリスのキャンベル駐アメリカ公使が本国への報告で明かした言葉が以下だ。

「ルーズベルトはインド人やアジア人種を白人と交配させることにより、彼らの文明は進歩すると考えている。しかし、日本人は白人と交配しても決して彼ら(日本の)文明は進歩しないと考えている。

ルーズベルトはまた、ある研究者の根拠のない説を引用して

日本人の頭蓋骨は白人のものより約2000年ほど発達が遅れている。

などという目と耳を疑うような醜悪な民族ヘイト発言を平気でできる大統領だったのだ。

さて、この手紙の中の『死と失脚』を同義として読むと、これもまた手紙が予見した通りになっている。

もしルーズベルト大統領が生きてこの文章を読むことがあったら、彼はどう感じただろう。

全てを分かった上で画策していた彼が虐げられてきた民族の心の声を聞いてなお、神の前に恥じらう気持ちを少しも持ちえなかっただろうか。

この世界が市丸少将の言ったことそのままになったことを考えると、戦後生まれの日本人の一人として、

日本は戦争には負けたけれど、最終的に目指した勝利を勝ち取ることに成功した

ように私には見える。

皆さんはどうだろう。

かつての植民地、被支配国が大国と同じ一票の権利を持ち、国同士対等であるという70年前日本が理想とした社会が曲がりなりにも生まれたのは、アメリカが勝ったからではなく、日本が戦ったからだ。

市丸少将の書いたルーズベルトへの手紙は、アメリカ軍の手に渡ったあと、711日、新聞に掲載されて アメリカ人は皆これを目にすることになった。

その後、アメリカ海軍太平洋艦隊司令長官、チェスター・ニミッツ元帥は、この手紙をAnnapolisの海軍兵学校に提出させ、今でもそこに納められている。


我々はこの戦いで日本を守るために散られた全ての御先祖の御霊のためにも、いち早く自虐史観から脱却して、誇りある日本を取り戻す使命があると思う。

今回は少し長くなったが、最後まで読んで頂き光栄に思う。

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