東郷平八郎を敬愛したニミッツ提督

アメリカ全般
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世界から崇められる海軍の神様

日本には今でも海外の人から海軍の神様と崇められる軍人がいる。

しかし、私が日本にいた頃は名前は聞いたことがあってもどんな凄い人であったのかと詳しく学校で習った覚えはない。

こちらの子供が読むような第二次世界大戦のことを写真などで解説している本をパラパラと流し読みしていたら、ふと日本人の写真が目に留まった。

名前を見たら

東郷平八郎という人だった。

詳しく読んでみると、

その頃世界から恐れられていたロシアとの無謀と言われた日本海海戦艦隊長としてガチで闘い日本はほぼ無傷のまま、敵を全滅させた伝説の海軍人

という感じの書き方だった。

その後に興味を持って詳しく調べてみると本当に凄い人だったことが色々なソースから分かった。

この方と肩を並べる人として世界史に出て来るのはナポレオンの上陸を阻止したイングランドのネルソン提督くらいらしいのだが(東洋のネルソンと西側には言われている)、戦闘実績としたら世界史上最強なのがこの東郷平八郎元帥なんだという。

わたし

世界史においても、そんなに凄い日本人がなぜ日本の学校で語り継がれていないのか。。

世界史を塗り替えた程にそれほど凄い人物で、日本以外の世界では今でも賞賛されている割に、日本ではミリオタと呼ばれるような人としか興奮を共感し合えないような悲しいことになっているのは、とても残念なので私のブログでもシェアしたくなった。

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日露戦争の指揮と戦績

東郷平八郎と言えば、日露戦争の日本海海戦での大勝利だ。

東郷は、明治38年(1905年)5月27日に、ヨーロッパから極東へ向けて回航してきたロジェストヴェンスキー提督率いるロシアのバルチック艦隊を迎撃しようと待っていた。

日本海海戦に際し、

「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」

との一報を大本営に打電した。

また艦隊に対しは

「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」

Z旗を掲げて全軍の士気を鼓舞した。

東郷は敵前で大回頭を行うという大胆な指示を出し、海戦に勝利を納めた。

この回頭は世界からも「トウゴウ・ターン」と称された。

世界の誰もが予測しなかったこの海戦における勝利は、日本の勝利という意義だけではなく、世界中を震撼させ、大興奮の渦を巻き起こした。

なぜならその当時はロシアの圧政に苦しんでいた人たちがたくさんいたからだ。東郷の名とともにロシアのバルチック艦隊の壊滅的全滅が世界中に伝えられ、当時ロシアの圧力に苦しんでいたオスマン帝国においても自国の勝利のように喜ばれ、東郷は同国の国民的英雄となった。

その年に同国で生まれた子供たちの中には、トーゴーと名づけられる者もおり、また「トーゴー通り」と名付けられた通りもあったと言われるほどの熱狂ぶりだった。

また極東アジアの小国が初めて西洋に勝ったという歴史的意義も多くのアジア人やアフリカの人たちにまで勇気を与えたという。

東郷を敬愛していたニミッツ提督

さて、この東郷平八郎を心から尊敬していた有名な外国人がアメリカにいた。

太平洋艦隊司令長官だったニミッツ提督だ。チェスター・ニミッツ - Wikipedia

ニミッツがまだ士官候補生時代の明治38(1905)、東京湾に寄港していたところ、日本海海戦の戦勝祝賀会に招待された。

祝賀会で他の候補生とともに東郷を胴上げし、その後、テーブルに招いて東郷と会話した。

東郷は英国式英語がとても上手で、その戦績とはうって変わって気さく感銘を受けた

と自伝に記している。

また大東亜戦争後、横須賀の戦艦三笠が荒廃し、進駐軍によってダンスホールにされて、荒れ果てていると聞いたニミッツは激怒し、海兵隊を歩哨に立たせて三笠を荒らさないようにさせ、個人的な寄付を当時の額で二万円の大金と米海軍にも援助させて、三笠を復元させた。

その開艦式でアメリカ海軍の代表が持参したニミッツの肖像写真には

東郷元帥の大いなる崇敬者にして、弟子のニミッツ

と書かれていたという。

ニミッツ没後、その名は米巨大空母の名に冠されている。

更に原宿にある東郷神社が戦争で全焼した時に当時の額で10万円を寄付して神社の再建にもニミッツが貢献している。

このような話は聞いたこともなかったので感動した。

敵の国であっても勇敢に戦う本物の軍人には尊敬の念を持つのだと思った。

ニミッツ提督と言えば日米の激戦場であったペリュリュー島に今でも残る碑でも有名だ。

海を臨んだその碑にはこう記されている。

「諸国から訪れる旅人たちよ。この島を守る為に日本軍人がいかに勇敢に愛国心を持って闘いそして玉砕したかを伝えられよ」

ニミッツは東郷を心から尊敬していた上に、敵国の太平洋司令の長であったので、どれだけの死闘を日本人があの孤島で繰り広げたかも目にしている。

そして彼は日本軍人の勇敢さと粘り強さは侵略の欲などという陳腐なもので成立しえず、ただ祖国の愛する家族を守りたいという純粋な愛の強さであって闘ったことも分かっていただろう。

もっと語るべき日本と世界のポジティブなつながり

チャイナや韓国は日本軍の悪い話ばかりをプロパガンダとして世界に流し日本貶めを図るが、日本側は逆にこのような

世界と日本とのポジティブな繋がり

の話を発信していけたらいいと思う。(向こう側はさぞかし嫌がるだろう)

最近でもアメリカ元軍人の遺族が、自分のお父さんかお爺さんが硫黄島から持ち帰った日の丸(日本軍人が携帯していた故郷の人からの寄せ書きがされている日の丸)を日本の遺族に返還し、遺族が感涙というニュースをいくつか見た。

こういうニュースは見てとても嬉しい気持ちになる。

学校やメディアでは日本の戦前、戦中を暗黒の歴史という観点からだけで語ろうとするが、戦前の日本は軍国主義だったのだとレッテルを貼って歴史に蓋をしてはいけない。

歴史の真実は我々の先人の生き様であり、その先人たちが繋いでくださった命で自分たちが今を生きているし、今の自分たちの先には未来の日本があるのだから。

だから、

真実は真実として語り継いでいく使命が我々にはあると思う。

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