硫黄島に突き立てられたアメリカ国旗:壮絶な死闘の秘話

抜け出せ自虐史観
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星条旗が突き立てられた日

1945223は、硫黄島の戦いにて、摺鉢山(すりばちやま)の山頂にアメリカ兵士が星条旗を掲げた日だ。

「この日本の島を我がアメリカ軍が勝ち取ったのだ」

という証を硬い岩の山頂に突き立てた。

しかし、初めて日本の領土にアメリカ国旗が突き立てられた時、我々のお爺さんはそこであきらめなかった。

この星条旗を日章旗に立て替えようと死闘が繰り広げられたのだ。。。

すぐに落ちると高をくくっていたアメリカ

アメリカは

硫黄島のような小さな島なら3日でおちる

と闘う前から高をくくっていた。

しかし三日どころか一週間経っても、二週間経っても落ちない。一か月経っても落ちない。

アメリカは確かに目の前にいるのに目に見えぬ敵があのような灼熱の岩山の中からどうやったら彼らと対峙できるのかと恐ろしい気分になったことだろう。

食糧も水も無くなった正に生き地獄の中、アメリカ上陸から1か月以上もの長期間を持ちこたえさせた脅威の精神力。それが我々のお爺さんたちだった。

日本人全員が学ぶべき硫黄島の死闘

硫黄島での日本兵の戦いぶりは日本人なら全員が学ぶべきだ

硫黄島での日本人の戦いは凄まじいものだった。

その名の通り硫黄の蒸気溢れ地熱が凄まじい南洋の岩島。息すらままならない状況の暗い狭い壕でお腹もすいていただろう、水がなくて苦しかっただろう。気の遠くなる長い時間を過ごしながら圧倒的な敵の艦砲射撃に対峙していた。想像しただけでも心が震える。

左翼はそのような強靭な精神で戦った日本の兵隊達を天皇を盲信していた今の北朝鮮の人民の様だと揶揄するが断じて違うと思う。

彼らの強さの根底には家族愛や郷土愛があった

本土に暮らす母や妹、弟への攻撃を一日でも遅らせることができるならと自らの命を賭して戦ったのだ

ご先祖がどれだけの劣悪状況で戦われておられたか、その精神の強さを少しでも感じれば尊敬の念を持たない方が人間でないと私は思っている。

日本よりも敵国アメリカの方が我が国の御英霊の強靭な魂を讃えるこの不条理さはいつ思いを馳せてもとても複雑な気持ちになる。。

アメリカでは硫黄島で日本兵があの劣悪状況下でもあきらめずにどれだけ自国の凄まじい攻撃に持ちこたえかを讃え、本国の若い軍人にその話をすることで彼らの士気を高めたという。

語り継がない日本

それなのに、日本では語り継がれることもままならない

硫黄島のような島で何故、ご先祖があそこまでの死闘をしたのか、その理由さえも子供たちは教えられないまま大人になってゆく

硫黄の蒸気溢れる灼熱の島でどれだけのご先祖が家族を思い、国を思い散って行かれたかに少しでも思い馳せることができたら、領土とはこの様にしてご先祖が自らの命と引き換えに守って下さったかけがえのないものだということが見えてくる。領土は数え切れない日本人の命と魂がつまったものなのだ。

そのありがたみもみじんも感じず竹島、尖閣問題にも無関心な多くの現代日本人の姿にご先祖はさぞ嘆かれるだろうにと思うと申し訳なくてとても辛い気持ちになる。

だから私は語り繋いでいく。貴方も日本人の心があるのならそうして欲しい。

コメント

  1. […] (「硫黄島に突き付けられたアメリカ国旗:壮絶な死闘」) […]

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