二人の自衛官の死とマスコミ: あの時何があったのか?

情報戦・ デマ
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自衛隊を恥ずべきおかしな風潮

本当におかしなことに、そして悲しいことに、日本では

国民の生命と財産を命をかけて守って下さる自衛隊を蔑む風潮がある。

そして、その風潮を作る旗手のマスコミによって我々は支配されている。

自衛隊という名ではあれど、軍事技術をとっても、隊員の練度、民度をとっても

世界最高水準の練度と民度の「軍隊」

であることは間違いない。

軍隊というものはどの国においても最高の敬意を払われる。

軍隊に最大の敬意を払うアメリカ

さて、アメリカでは退役軍人の日が国民の休日としてあり、その1週間くらい前からは町中の至る所に大きな星条旗がはためき始める。学校でも然りだ。

何かパレードがあれば必ず退役軍人が参加し、その方達が自分の前を通る時は、それまで持参してきた簡易チェアにどっかりと座ってパレードを見ていた人達もすぐに立ち上がり割れんばかりの拍手を送る。

そういう姿を見ると私は悲しくなる。

わたし

日本を守るために、そこに住む家族を守るために、自分の命はもう無いものとして地獄のような大東亜戦争を戦い抜き、何とか生きて帰って来た軍人さんの中で、この様に日の目を見ることができた方々はどれ位いらっしゃたのだろうか。。

我々は彼らを日の丸を振って、割れんばかりの拍手を送り、讃えたことが一度でもあったのだろうか。。

 

今でも元気に生活される退役軍人の方もおられるが、この方々が最大の敬意を持ってテレビに出演されているのを私は見たことがない。

日本の自衛隊に感謝する人々と反日勢力

さて、自衛隊の話に戻ろう。

自然災害が多い日本列島に住む日本人は、平成時代に改めてその脅威を幾度も体験し、その度に自衛隊のありがたみを痛感した。

自然災害が起こると、真っ先に大きな車で道をふさいだり、ヘリコプターを飛ばすことで、被災者の迷惑になったり、足手まといになるようなことしかしないメディアとは真反対に、日夜、寝る暇、食べる暇もなく被災者の救済にあたった自衛官達の勇姿に感動した人々も多かったと思う。

実際に救助してもらった人々は、彼らの真摯な態度にとにかくありがたい気持ちでいっぱいだった。自衛隊に感謝するたくさんのエピソードを今でも見ることができる。

自衛官が真摯な気持ちで対応したのは生存者だけでない

海に打ち上げられたり、家屋の下で息を引き取った死者にも深々と頭を下げ、手を合わして丁重に喪に服すお手伝いをして下さった。

自衛隊の方々にも帰りたい家がいる。家族がある。

しかしそんな個人的感情を抑えて、自分の家族の下に帰る時間も取れずに、ひたすら寒い、臭い、汚い、辛い、悲しい救助にあたり続けてくれた。

こんなことが出来る団体が自衛隊以外にいるだろうか。

それなのに、滅私奉公に日夜、励んでくださる自衛隊を左翼活動家

自衛隊は人殺し集団よ。戦争をしたいのよ。

と吹聴する。

マスコミも自衛官が練習中に事故を起こすと鬼の首を取ったように罵倒し、非難する。

そのようなニュースを見る度に、ただただ怒りがこみ上げる。

彼らの活動に対して、失礼な事を言ったり、書いたりしている人には

わたし

自分に何があっても自衛隊のお世話になるなよ!

 

と言いたくなる。

しかしこのような人に限って自分がピンチになると列の一番前を目指して一目散に走るのだろう。

自衛隊機の事故とその裏側(ある校長の手記)

さて、マスコミが鬼の首を取ったように騒ぐ自衛隊の事故と言えば、今から20年前にある高校の近くの川岸に自衛隊機が堕ちた事故があった。

二人の自衛官はその事故で亡くなった。

幸いにも川岸に墜落したのでその周辺に密集する家屋や学校には被害が及ばず誰も死傷することはなかった。

その時の事故が自衛隊の責任であると非難するマスコミの報道は酷いものだったが、その事故の真相を知っている一人の校長が言葉を残していた。

マスコミが語ろうとしなかった衝撃の事件の裏側だ。

その校長先生の手記を紹介したい。

静かな気持ちで読んでみて欲しい。

『出典:藤棚 狭山ヶ丘高等学校 学校通信 1999/12/1』 

人間を矮小化してはならぬ
小川義男 校長
 先日、狭山市の柏原地区に自衛隊の技習用ジェット機が墜落しました。たまたま私は、寺田先生と共に、あの近くを走っていましたので、立ち寄ることとしました。
 すでに付近は閉鎖されていて、近くまで行くことはできませんでしたが、それほど遠くないあたりに、白煙の立ち上るのが見えました。


 見上けると、どのような状態であったものか、高圧線がかなり広範囲にわたって切断されています。高圧線は、あの太くて丈夫な電線ですから、切れるときはぶつんと切れそうなものですが、多数の細い線の集まりからできているらしく、ぼさぼさに切れています。
何カ所にもわたって、長くぼさぼさになった高圧線が鉄塔からぶら下がっている様は、まさに鬼気迫るものがありました。


 聞くと、操縦していた二人は助からなかったそうです。二佐と三佐と言いますから、相当地位の高いパイロットだと言えます。ニ人とも脱出を試みたのですが、高度が足りなく、パラシュート半開きの状態で地面に激突し命を失った模様です。
 
 以前、現在防衛大学の学生である本校の卒業生が、防大合格後航空コースを選ぶというのを聞いて、私がとめたことがあります。「あんな危ないものに乗るな」と。彼の答えはこうでした。
「先生、戦闘機は旅客機より安全なのです。万一の場合脱出装置が付いておリ、座席ごと空中に打ち出されるのですから」と。


 その安全な戦闘機に乗りながら、この二人の高級将校は、何故、死ななくてはならなかったのでしょうか。それは、彼らが十分な高度での脱出を、自ら選ばなかったからです。
 おそらく、もう百メートル上空で脱出装置を作動させていれば、彼らは確実に自らの命を救うことができたでしょう。47歳と48歳と言いますから、家族に取りかけがえなく尊い父親であったでしょう。それなのに、何故、彼らはあえて死をえらんだのでしょうか


 実は、あの墜落現場である入間川の河川敷きは、その近くに家屋や学校が密集している場所なのです。柏原の高級住宅地は、手を伸ばせは届くような近距離ですし、柏原小、中学校、西武文理高等学校もすくそばです。
百メートル上空で脱出すれば、彼らは確実に助かったでしょうが、その場合残された機体が民家や学校に激突する危険がありました。彼らは、助からないことを覚悟した上で、高圧線にぶつかるような超低空で河川敷に接近しました。そうして、他人に被害が及ばないことが確実になった段階で、万一の可能去性に賭けて脱出装置を作動させたのです。


 死の瞬間、彼らの脳裏をよぎったものは、家族の顔でしょうか。それとも民家や学校を巻き添えにせずに済んだという安堵感でしょうか。             
 他人の命と自分の命の二者択一を迫られたとき、迷わず他人を選ふ、この犠性的精神の何と崇高なことでしょう。

 皆さんはどうですか。このような英雄的死を選ぶことができますか。おそらく皆さんも同じコ一スを選ぶと思います。私も必ずそうするでしょう。


 実は、人間は、神の手によって、そのように作られているのです。
人間はすべてエゴイストであるというふうに、人間を矮小化(ワイショウ)、つまり実存以上に小さく、卑しいものに貶(オトシメ)めようとする文化が今日専ら(モッパラ)です。しかし、そうではありません。人間は本来、気高く偉大なものなのです。

火災の際の消防士の動きを見てご覧なさい。逃げ遅れている人があると知れば、彼らは自らの危険を忘れて猛火の中に飛び込んでいくではありませんか。母は我が子のために、父は家族のために命を投げ出して戦います。これが人間の本当の姿なのです。その愛の対象を、家族から友人へ、友人から国家へと拡大していった人を我々は英雄と呼ぶのです。


 あのジェット機は、西武文理高等学技の上を飛んで河川敷に飛び込んでいったと、佐藤校長はパイロットの犠牲的精神に感動しつつ語っておられました。


しかし、新聞は、この将校たちの崇高な精神に対しで、一言半句(イチゴンハンク)のほめ言葉をも発しておりません。彼らは、たたもう自衛隊が、「また、事故を起こした」と騒ぎ立てるばかなのです。

防衛庁長官の言動も我慢がなりません。彼は、事故を陳謝することのみに終始していました。その言葉には、死者に対するいたわりの心が少しもありません。                           
 防衛庁の責任者が陳謝することは、それはもう当然です。国民に対してばかりか、大切な隊員の命をも失ったのですから。
 しかし、陳謝の折りに、大臣はせめて一言、「以上の通り大変申し訳ないが、隊員が、国民の生命、財産を守るため、自らの命を犠牲にしたことは分かってやって頂きたい。自衛隊に反発を抱かれる方もあるかも知れないが、私に取り彼らは可愛い部下なので、このことを付け加えさせてもらいたい。」くらいのことが言えなかったのでしょうか。

隊員は命を捨てて国民を守っているのに、自らの政治生命ばかり大切にする最近の政治家の精神的貧しさが、ここには集中的に表れています。


 まことに残念なことであると思います。このような政治家、マスメディアが、人間の矮小化をさらに加速し、英雄なき国家、エゴイストのひしめく国家を作り出しているのです。


人は、他人のために尽くすときに最大の生き甲斐を感ずる生き物です。他人のために生きることは、各人にとり、自己実現にほかならないのです。

国家や社会に取り、有用な人物になるために皆さんは学んでいます。そのような人材を育てたいと思うからこそ、私も全力を尽くしているのです。
受験勉強で、精神的に参ることもあるでしょうが、これは自分のためではなく、公(オオヤケ)のためである、そう思ったとき、また新しいエネルギーが湧いてくるのではないでしょうか。
 
 受験勉強に燃える三年生に、連帯の握手を!                          

私はこの方の文章を涙なくして読むことが出来ない。

本当に人間の本質を直球で語っており、今の日本が直面する大きな闇を的確に指しておられる。

そしてこのような崇高な思いで自らの命と人生を二の次にされたお二人の自衛官に心から哀悼の意を捧げたい。

死ぬ間際でも仲間を気遣った自衛官達

この話にはまだ続きがある。

二人の自衛官はどちらも助かる見込みがゼロの高度で脱出装置を起動させ、機体から脱出をした状態で亡くなっていた。

ゴミのようなマスコミはこのことを、

助からないのに悪あがきで脱出装置を作動させたのか。。

と半ば馬鹿にするような報道機関もあったらしい。

しかし、これに関しても仲間の自衛官が衝撃の証言をしている。

二人は死を覚悟したものの、脱出装置の不具合で脱出できなかったということになると機体の整備士の責任になってしまうことを懸念し、装置は正常であった事を仲間に伝えるために敢えて作動させて死ぬことを選んだのです。

自分達が死ぬことは避けられないと察したそのわずかな時間で、仲間の整備士への咄嗟の気遣いによる行動だった。

頭が真っ白になるようなプロ意識だ。

普段からこのような思いと覚悟で訓練を重ねられている自衛官の皆さまには、心から感謝の気持ちを毎日送りたいと改めて思った。

自衛隊の皆さんにおかれては、マスコミが何を言おうが、心ない人が何を思おうが気にしないで欲しいと願う。

大多数の日本人はあなた方に心から感謝しており、深い敬意を払っています。

日々、本当にありがとうございます。

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