もくじ
日本の歴史授業のおかしさ
日本の学校の歴史の授業では、まず縄文時代から始めてそこを異常に長い時間をかけてゆっくり学習する。
そうしていると、学期末になり時間が無くなり、明治維新から第二次世界大戦までを駆け足でカバーして卒業するという学校が多い。
世界の諸外国と比べても、日本は自国の歴史がとてつもなく長いので、多少の省略は免れない。しかし、外国と深く関わることが多くなった江戸末期から明治以降にじっくり時間をかけるどころか、はしょって省略なんてしていたら日本の近代史が全く意味の分からないものになってしまう。
日本の戦の概念
日本の戦の概念は世界の戦争と古来から意味を全く異にしていた。
日本は世界に比べて殊更、戦争が少ない平和な国であったが、それでも何百年に一度、大きな転機を迎える。
どれだけ平和に見える国も長い時間を経るうちに、少しづつ穢れが溜まってくる。膿がたまってくるのだ。
その穢れを払い、膿を吐き出すための戦いが幾度かあった。
しかしどの闘いでも一般庶民が巻き添えを食うことはほぼ皆無だった。
あくまで軍事を任された侍と侍との間の秩序を保つ(または秩序を取り戻す)ための戦いであり、負けた敵の大将にも過分な敬意が払われてきた。
犠牲者がけた違いになる世界の戦争
対して世界の戦争とは覇権欲望と金儲けのために起こすものだった。
だから勢力争いに全く関係ない一般人もけた違いに巻き添えを食らい、征服された側の一族郎党皆殺しは当たり前の世界だ。
それはたった7-80年前の先の戦争でもよく表れていた。
アメリカが日本に行ったやり過ぎと言えるほどの数と威力の一般市民へのじゅうたん爆撃や原爆投下(一般人の被害者は90万人とも言われている)はどう考えても日本の戦い方(勝ち方)とは違った。
という精神がよく表れている。
卑劣なやり方で勝った後も、連合国は茶番ともいえる軍事裁判(いわゆる東京裁判)で日本にリンチ裁判をした。
その時に絞首刑に処された7人の内の一人、東条英樹閣下は日本に一方的に課せられた戦争犯罪について、東京裁判の中でも終始はっきりと論陣を張られて仰った。
「日本に罪があるのなら、戦争に負けたことに大いに責任がある」と。
そして
自分は責任を取る(処刑される)ことに異論はないが、日本が戦時中において国際法を破ったことは只の一度もない。
と主張しておられた。
そうなのだ。
日本は人道に対する罪があるという事後法という卑怯な手を使われて、敵軍によってたくさんの軍人を処罰されたり、処刑されたのだ。正に歴史は勝者が書くを実践されてしまったのだ。
日本をは、あの厳しい状況の戦いにおいても、
常に国際法を守り抜きながら義を持って戦い続けた
という誇り高い歴史は知らない日本人の方が多いことは本当に残念だ。
なぜ日本が強くないとだめなのか
私が日本を良くしたいと願うのは、只、私が日本人だからではない。
日本が強い独立国になる事は、ひいては世界の平和に繋がる
と考えているからだ。
小さい頃から【世界平和】という言葉を聞いて育ってきたし、それを今でも望んでいる。どうしたら実現できるのかもずっと考えてきた。その中で左翼的な考えに傾倒しそうになったことがあったことも以前、話したことがある。
しかし、歴史をよく紐解いてみたら、日本があの戦いに勝っておれば、多くの日本人が思う所の世界平和は、かなり実現されていただろうという予測に至った。
先の戦争で日本が勝っていたら、もしくは外交的に引き分けにでも持っていけておれば、戦後、どれだけの人がその後に勃発した数々の戦争や共産革命で命を落とさずにおれたか。
その数は大戦で亡くなった数を遥かに上回っているというのに、そこに言及する歴史家は圧倒的に少ない。
中国の脅威もない、ダライ・ラマが亡命する必要も無い、中東、アフリカにおけるアメリカの無法で卑劣な攻撃もない。
日本主導で古来から日本人が目指してきたところの八紘一宇の世界が作られただろう。
そう思いを馳せると敗戦の重責を思わざるを得ない。
だから世界の平和の為にも日本は強くならなければならない。
親日国は中韓にヘコヘコ頭を垂れる脆弱な日本を悲しんでいる。
日本が強く立ち上がる事を望んでいる。