靖国神社:開戦記念日はなぜ静かなのか

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日本では12月8日ハワイの真珠湾攻撃を行った日。つまりアメリカとの公式な開戦日として知られている

8月15日のいわゆる終戦記念日は右も左も真ん中も色々な種類の人達でごった返し、誰が参拝したや、しなかったなどがメディアで大騒ぎになる靖国神社が、開戦記念日には至って静かなものだとフォロワーさんに教えてもらった。

そこで、なぜ日本人は開戦記念日に靖国神社に参拝に行かないのかを考えてみた。

やはり、12月8日の開戦における日本の大義やそこに至るまでの当時の日本を取り巻く世界情勢を、自らが育っていく途中できちんと習っていないことに起因するだろうと思う。

終戦記念日も大事だが、それより小国島国日本が何故、大国アメリカが売ってきた喧嘩に乗ることになったのか。その背景には一体何があったのか

そういう大事な事を日本人は学校できちんと学習していない。

アメリカの中学、高校での歴史授業での太平洋戦争の解説は概ねこんな感じだ。

鬼畜日本が卑怯にも宣誓布告をせずに真珠湾を襲撃してきた。真珠湾に停泊していた艦隊はことごとく壊滅した。
軍事施設のみならず、日本軍は市民施設の爆撃攻撃も行い多くの一般人も多数の死傷者が出た。その奇襲の報復攻撃の為にアメリカは日本と戦争を始めることとなった。
しかし、どれだけ叩きのめしても日本がなかなか降伏しようとしない。このままではアメリカ軍の死傷者が増えていくので、戦争を早く終結させる為に仕方なく日本に原爆を二発落とした。
そこでやっと日本は降伏し、アメリカが占領することで平和と民主主義が、帝国独裁体制であった日本にもたらされた。めでたしめでたし👏

気付いた方もいるだろうが、日本の学校でも大体、説明は同じようなものではないだろうか

多くの日本の高校では学期の始まりに縄文から教え始めるので、学期末になると近代史を教える時間がなくなり、さーっと表面を撫でる程度で済ますか、更に酷いのは

「あとは自分で教科書を読んでおいてね」

 となる学校も多い。

つまり日本人の多くが、あの日本の歴史の中で最も影響を及ぼしたといえる大戦の始まりも過程も終わりも何となくで済まし、深く学習することなく卒業しているということだ。

開戦は当時の日本にとって

このままでは日本国は消滅の道しかない。座して死を待つなら九死に一生を得ることが出来る可能性を選ぶ。戦わずして負けるという選択肢はない。

という苦渋の決断であった。

この開戦の経緯等については、硫黄島で玉砕された市丸中将が、時のルーズベルト大統領に送った手紙を紹介した記事で書いている。涙無くして読めない、日本人全員が読むべきとても重要な手紙なので是非、一読されて欲しい⬇️                                       『市丸中将の最後の言葉:ルーズベルト大統領に物申す』

このルーズベルトといえば、学校では絶対に教えてもらえない決定的な人種差別主義者だったことを添えておく必要があるだろう。なぜなら、彼のこの人間的一面と彼らの周りにいた共産主義者たちが日本を戦争に駆り立てていったことは否めない事実だからだ。

そしてルーズベルトはただの人種差別主義者でない。

完全に日本ヘイトの差別主義者だった。

イギリスのキャンベル駐アメリカ公使が本国への報告で明かした言葉が以下だ。

「ルーズベルトはインド人やアジア人種を白人と交配させることにより、彼らの文明は進歩すると考えている。しかし、日本人は白人と交配しても決して彼ら(日本の)文明は進歩しないと考えている。

ルーズベルトはまた、ある研究者の根拠のない説を引用して

日本人の頭蓋骨は白人のものより約2000年ほど発達が遅れている。

などという目と耳を疑うような醜悪な民族ヘイト発言を平気でできる大統領だったのだ。

さて、苦渋の決断をしたあの日から、日本は史上初めての世界大戦に突入していき、ゼロ戦が広大な太平洋を飛び回り数々の歴戦をしていくことになる。

太平洋上の島々から東南アジアのジャングル、インドに至るまで我々の先祖が日本のため、アジアの独立、世界の安定と平和のために闘い、散っていった。

日本人にとっては終戦記念日と同じくらい重要な日だ。

行ける方は是非、開戦記念日にも靖国神社に出向き、御霊にお声をかけていただきたい。

実は奇襲ではなかった真珠湾攻撃

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