アメリカの雑誌で初めて見た侍:ラストサムライ小野田寛郎

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アメリカの雑誌で讃えられる日本軍人

終戦後もフィリピンのジャングルで約30年も諜報活動を続けた一人の軍人がいた。

ラストサムライ小野田寛郎

私が小野田少尉の生き様を知ったのは彼が2014年に逝去された際だった。

ふと手に取ったアメリカの雑誌に逝去に伴う特集記事が組まれていた。古いモノクロの日本軍人の鋭い眼光が目に留まった。

アメリカの雑誌でこの様に大きく紙面を割かれる日本人は、一体どのような方なのだろうか

と興味をそそられて読んだ。

その記事は軍人としての小野田少尉の武士道精神を讃える形でラストサムライと呼んでいた。

 

彼のフィリピンでの活動

彼は陸軍中野学校出身で、フィリピンのルバング島では諜報員(今でいうスパイ)として配備された。

当時22歳。

出征前夜には、母親から切腹用の刀を渡され

『何かあったらこれで腹を切りなさい。常に大日本帝国軍人として誇りを持って生きなさい』

と言われたという。

ジャングルで一日一日を敵に見つからないようにと一日何十キロの距離を歩き移動し続ける日々。

料理をする際の火にも気を付けなければならない。寝ている時もぐっすり寝られるわけでない。ある時に大きなアリが耳の中に這い入り、鼓膜を食い破られたという。

想像を絶する毎日を、数名の仲間と励まし合いながら生き続けた。その最後の戦友が死んだあとは一人で闘い続けた。

仲間を失い、たった一人になってしまった後が、一番辛かったという。

 

小野田少尉の帰還活動

終戦後も日本に帰還しなかった彼はもうすでに戦死しただろうと諦められ、長い間、靖国神社にお祀りされていた。

そこに家族に朗報が舞い込んだ。

未だにジャングルに潜み活動を続けている小野田さんに偶然出会ったとフィリピンを旅していたある日本人男性が現れたのだ。

それを聞いた家族は、望みを持って何度かジャングルの上空からビラをまいて出てくるように呼び掛けた。

しかし、それを敵のおびきだと疑った彼は無視し続けた。

上官の命でしか任務を終了しないということで、当時の上官がフィリピンまで赴いた。

彼から直接に任務終了の命を授かり、彼は戦争から解き放たれた。

実に終戦から29年後のことだった。その時、彼は51歳になっていた。

彼が常に携帯していた軍刀は綺麗に磨かれていた。身なりも帝国軍人そのものの姿で髭もなく、髪も短く整えられていた。

 

日本帰還後の小野田少尉

上官から任務完了の命を受けてようやく日本に浦島太郎の如く帰還した小野田少尉は、その日本の姿に愕然としたという。

自分の命をかけて守ろうとした日本の姿があまりに無残だったからだ。

たくさんの戦友の死を見てきた。その者たちが自分を含めてどの様な気持ちで苦しい闘いをしてきたか彼は分かっていただけに、戦後の日本人が彼を迎えるその冷たい態度に何とも言えない悲しみと怒りを感じられたことだろう。

彼は自らに与えられた見舞金と全国から集められた義援金を全額、靖国神社に寄付した。

それさえもマスメディアは「軍国主義の亡霊だ」だと揶揄し、バッシングしたのだ。

自分の居場所を祖国に見つけられなかった彼は日本を再び離れ、ブラジルへ渡った。

 

再び日本へ帰還:精力的な活動

しかし、彼はまた日本に舞い戻ってきて下さった。

ある日、小野田さんは日本のニュースをブラジルで見たという。

反抗期の息子が母親に腹を立て、野球のバットで殴って殺害した!

という戦慄的なニュースだった。

それを見て驚愕した小野田さんは

「戦後の日本がおかしいことになっている!日本の若者を救わなければならない!」

という使命にかられた。

日本帰国後は子供達を集めて「小野田塾」を開き、野外でのサバイバル術を教える活動を体が動くまで続けておられた。

毎年8月15日、靖国神社では力強いスピーチをして我々、日本人を励まし続けて下さっていた。

彼は慰安婦問題についても

「大日本帝国軍人の規律の下でそんなことがあるわけがないでしょう!」

と笑顔で笑い飛ばしておられた。

 

広島にて:この碑はアメリカ人が作ったのか?

その彼が広島を訪れた際、有名な慰霊の碑

「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませぬから

を見て一言、仰ったという。

          この碑はアメリカ人が作ったのか?

これが日本人として正常な感覚だろうと思う。

アメリカでは70年以上経っても忘れられずその精神を讃えられる大日本帝国陸軍のいち軍人。

わたし
日本でどれだけの人が彼を讃えているのだろうか

という問いが頭をよぎった。

動画:平成23年8/15戦歿者追悼中央集会(小野田寛郎氏

この動画は89歳当時の靖国神社での小野田氏の講演の様子だ。

わたしはこの動画を何度見たか分からないくらい見ているが、見る度に涙が溢れ出る。

30年近くも日本のために孤軍奮闘戦った彼が、祖国に帰れば英雄どころか亡霊扱いされ、彼の横でバタバタと血を流して倒れて行った仲間の御霊安かれとお祈りすることさえも他国に非難されれば止めてしまう腰抜けの為政者たちの姿を見て、どれほど悔しい思いでおられたことだろうと想像するだけでも胸が張り裂けん思いになる。以下は小野田さんの言葉の中でも、特にわたしの胸に刺さったものだ。

『わたくしたちは、戦友たちとは靖国で会おう!と言って戦ってきたのであります。』
『日本人の多くに国家観念がなくなってしまったということに尽きると思います。』
『長生きなんてするもんじゃないな。。』

小野田さんを描いた映画が遂に出た❗️

小野田さんを描いた映画ができたというニュースが舞い込んできた!

日本人が監督でないというのは少し寂しいところだが、フランス人監督アルチュール・アラリ氏が、小野田寛郎さんについての書籍「ONODA 30 ans seul en guerre」(著:Bernard Cendoron)を基に「ONODA 一万夜を越えて」という映画にした。

この作品は第74回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」オープニング作品に選出された。遠藤雄弥さんと津田寛治さんが小野田さんの青年期と壮年期を演じ、カンボジアのジャングルで約4カ月の撮影に挑んだという。

これはぜひ見たい。いや、今はとにかく日本にいる人に見て欲しい!(公開は10月8日から)

コメント

  1. 小野田少尉の本を父の写真の隣に置き、毎日手を合わせています。(栗林忠道中将の本が右側にあります)
    私も小野田少尉がすごい方だと知ったのは、残念ながら亡くなってからでした。敗戦の日に靖国神社で講演されていた動画を見て、生きている時にお目にかかれなかった事を口惜しく思いました。

  2. 小野田さんは孤独に強かったんですね。

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