総括してみた:東京五輪の開催はどうだったのか?

季節のごあいさつ・徒然なるつぶやき
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一年延期された東京オリンピック2020が無事に終了した。

開会式前に様々な妨害工作(この事については以前の記事東京五輪ディレクター解任劇の裏側:恐ろしいキャンセルカルチャーに身震いで詳しく書いた)が行われ、無事、開会できるのかと不安になっていた方も多かった事と思う。

私も実際、開幕するまで気が気でなかった。しかし、日本人選手たちの素晴らしい活躍が連日報道され、日本人が一体になって応援する姿を見ているととても元気をもらったし、無事、成功に終わったことにほっと胸を撫で下ろしているところだ。

しかし、この五輪もその開会式もネット上ではかなり賛否両論で荒れていたようだ。

わたしは始めから終わりから全てを見られたわけでないのだが、沢山の方の意見を拝見していると、大体は以下の点⬇️で意見交換がなされていたようだ。

オリンピック選手団を迎える人達の衣装

バッハ会長の学校集会での校長先生並みのスピーチの長さ

天皇陛下の短いながらも威厳のある開会宣言の素晴らしさ

天皇陛下のお言葉の途中で、立ち上がる合図をした小池都知事と、それにつられて立ち上がる菅総理の姿

海老蔵の歌舞伎とジャズピアノの融合が全く合っていなかったこと

君が代を美声で歌ったMISIAの衣装がLGBTに合わせた虹色だったこと

聖火リレーの最後がBLM支持を表明する大坂なおみさんだったこと

開会式が全てを通して、日本らしさの強調が全くなく、ポリコレメッセージ一本に染められたディレクションだったこと(よく分からない横文字でのメッセージ)

全体的には「良かった!」という肯定派の人と「全然だめだった!」という否定派の人と大きくきっぱり分かれていた様に見えた。あまり真ん中の意見が見られなかったようだ。

良かった!という人の中には、

『開催されるかどうかの雲行きも怪しかった中で、とにかく無事、開会式が執行されて胸を撫で下ろした。』『もうこれ以上文句は言いたくない。』

という気分の人が多かったようにも見えた。

良かった!と思えた人に対して文句を言うつもりはないし、満足しているのであればそれに水をさすことをしたくないので、『ダメだった!』と落胆している人の声を拾って、何がだめだったのかを考察していこうと思う。

上記の一つ一つの点を掘り下げて考えていきたいと思う。

オリンピック選手団を迎える人達の衣装

この衣装をめぐって保守派の間でも大変な分断が起こっていた。反発が大きかったことの理由の一つにはKIMONOプロジェクトが中止になったことが大きいと思う。KIMONOプロジェクトというのは、ご存知ない方のために簡単に説明すると、五輪参加国のそれぞれの国の特徴をとらえて美しくデザインされた着物を1着、1着手作りし、それらを披露しようというものだった。

私もほぼ全てのデザインを拝見したが、どれもこれも各国の特徴を見事に捉え、その国らしいデザインと色調で織られた、それは見事な作品ばかりだった。まさに息を飲む美しさ。

着物という日本にしかない伝統衣装という形で参加国それぞれにも敬意をはらうことができるという、これ以上ない素晴らしい企画だと思っていた。

これが残念なことに邪魔が入ったことで中止になってしまった。何年も楽しみに待っていた人たちが落胆しているところに、開催直前になった突然発表されたあの衣装だったから、あれだけの反発に繋がったのかもしれない。

もしくはKIMONOプロジェクトなんて知らない人でも、あの衣装を見た途端に『なにこれ、ダサい』という人もいたかもしれない。

直感的に反発した人の中で圧倒的に多かった意見が、

・どこかの居酒屋のウエイターの服みたい

・病院から抜け出してきたみたい

だった。

私も初めて見た時の印象はとにかく『え。。やめてほしい』だった。それを個人意見としてツイッターでつぶやいたら、かなり攻撃がきた。

その人たちはデザイナーの山口壮大さんを応援している方々でかなり過激な方々が多かった印象がある。

デザイナーさんがどれだけ素晴らしい作品を過去に作っていようが、彼自身が和に精通してようが、できた作品があれでは言い訳にしか聞こえなかった。

新しい礼服』を提案したかったらしいが、激しい戦いを勝ち抜いて最後の最後で輝かしい功績を獲得した選手の方々にメダルを渡す役として、あれは開催国の日本として礼と敬意をもった装いだったのかどうかは甚だ疑問だ。

普段着ならともかくメダルを渡すというボランティアといえど大役の一つだ。晴れ着で迎えるのが礼ではないだろうかと私は思った。

あの衣装が隣の国のものに見えるという意見がかなり攻撃されていた様だが(私はそのような意見は一度も言っていなかった)、どの国の様な衣装に見える、見えないでなく、問題は『日本らしさがない』だったのではないだろうか。

暑いから着物は無理だというのが肯定派の一番の理由だったが、夏の素材を使った浴衣風の衣装でもよかっただろうし、また皆、同じ衣装にしなくとも、裏方で働く人と、メダルを渡すために表に出てくる人とで衣装を変えても良かったのではと思う。

バッハ会長の学校集会での校長先生並みのスピーチの長さ

五輪会長としては、コロナ禍でも開催できたということを自身の成果として長々と語りたかったのであろうが、あまりの話の長さに選手の間でもダラダラとした雰囲気が流れてしまう有様だったようだ。この話の長さには中継を見ていた人からももかなりの批判の声があがっていた。会長なので皆、言いづらかったのかもしれないが、時間制限した方が良かったと思う。

天皇陛下の短いながらも威厳のある開会宣言

バッハ会長の無駄に長いスピーチとはまるで違う簡潔で清々しい開催宣言に、天皇陛下の威厳を改めて見た人が多かったように思う。あの様な国際舞台の場で、天皇陛下がお出ましになり、きりっと開会宣言をしていただける国、日本のありがたさに気づいた人も多かったようだ。

しかし、陛下と他の参列者の椅子が同じであったことと、同列に並んであることに驚嘆した人も多かった。陛下には特別な椅子に座っていただき、上座にお座りいただく形にして欲しかった。

そんな特別仕様が一切なくとも、その佇まいで威厳のオーラが出ている様子はテレビ画面からでも伝わっていたようだが。

天皇陛下のお言葉の途中で立ち上がる

これにはかなりの批判の声があがっていた。これは五輪側の意思疎通の責任だと言い訳されていた方が多かったが、あの様な醜態を世界中に晒してしまったことは紛れもない事実だ。

何が一番いけなかっというと、天皇陛下のお話の途中で立ち上がり始めてしまったことだった。

座ったままなら座ったままで。

立ち上がるなら陛下がお話になられる前に。

と、どちらかであれば、あれほど批判されることにはならなかったのだ。

小池都知事の目配せで、陛下がお話になられててから、ぞろぞろと立ち上がるあの人たちはどれだけ不敬に映ったことか。

海老蔵の歌舞伎とジャズピアノの融合

日本を代表するアート(伝統芸術)である歌舞伎。その代表として海老蔵が舞台に上がるのはとても嬉しかったのだが、なぜあそこでジャズピアノがバックグラウンドミュージックとして使用されたのか。。

和と洋の融合ということをメッセージとして出したかったのだろうが、歌舞伎は歌舞伎だけで、しっかりともう少し時間を取ってアピールして欲しかった。歌舞伎は海外でも名の知れた舞台芸術だ。興味を持っている外国人も数多くいる。もう少し時間を取って、歌舞伎の主張をしても良かったのではないだろうか。疫病退散の睨みも意味がわからない人が多かったようで残念だった。ジャズピアノを入れるなら別の場面にして、あそこではお琴や三味線などの日本の伝統楽器でやった方がカッコ良かったと思う。

君が代を美声で歌ったMISIAの衣装

日本を代表する歌姫であるMISIAがあの場で国歌を斉唱したことに感動した人々が多かった。改めて日本の国歌の美しさに魅了された方も多かっただろう。しかし、あのかき氷のような衣装はどうだっただろうか。そして色はやはりLGBTを意識した虹色になっていた。ここでもしっかり政治色がでていたことは残念だった。あれなら髪型など見た目は和っぽくない彼女が豪華な着物姿で凛と歌った方が場が引き締まったのではないだろうか。

聖火リレーの点火選手が、、

これには残念だという声が非常に大きかった。大坂なおみさんはすっかりグローバル勢力の政治メッセージを代弁する有名人というイメージが日本ではついてしまったので、最後のリレー選手がBLMを大きく表明している彼女であったことに残念な思いを持った方が多かったようだ。純日本人でないというのも抜擢の大きな理由であろうが、あそこでは池江璃花子選手のような方に点火していただき盛り上がりたかったところだ。

開会式が全てを通してポリコレメッセージ一本に染められたディレクション

日本らしさの強調は全くなく、一貫して、よく分からない横文字でのメッセージが多用されており、結局、何が言いたいのかよく分からない開会式になってしまったのは残念なことだ。五輪というのは、そもそも、言葉も文化も見た目も違う多くの国々の選手たちがスポーツを通して競い合うという、既に多文化的な要素があるのだから、それ以上にポリコレ的なメッセージをあれやこれやと付け足す必要すらないと思う。

最後に

日本人選手たちの活動がめざましく、連日のメダルの報道に私もとても元気をもらっていたので、開催は結果としては良かったのではないかと思っている。

また延期されたものの無事に開催してもらったことで出場できたことへの感謝の気持ちを大きく伝える選手の多さにはとても嬉しい思いがした。

色々と批判があったものの、この世界的なコロナ禍にある中で、始まればあれだけスムーズに事を運べ、各国の選手たちも滞在の心地よさに感動して帰路につけるのは世界でも日本だけであろうという点を考えると、やはり今年の開催国が日本であって良かったなと思う。

とはいえ、結局は無観客試合という残念な開催になったというのに、ラップやロックなどの大規模コンサートでは密な盛り上がりが許されているダブスタな状況を見るとすっきりとした気持ちにはなれないというのが正直なところだ。

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