日の丸を飾りましょう:意外と知らない日の丸の由来

季節のごあいさつ・徒然なるつぶやき
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皆さんはお正月や国民の休日に日の丸を玄関に出しておられるだろうか。

ツイッターでは「ちゃんと飾ってますよー♪」とフォロワーさんが写真を送ってくれたりして、とても嬉しい気持ちになる。

しかし実際はそのような方は少数派なのだろう。

日の丸を出しましょう

昔は当たり前のように出ていた日の丸も年を経るごとに見る機会がどんどん減っていったような気がする。

日本国民が国を象徴する日の丸を家に飾ないとはやはりおかしい。

私はここでは飾りたくても飾れないので、せめて日本にいる日本人は飾って欲しいと願っている。

たまに人目を気にせず「飾ってしまおうと」か衝動に駆られることがあるが(笑)、襲撃されたら怖いのでやめておくことにする。

アメリカで見る日の丸の美しさ

さすがにこちらの自宅には飾る事ができないが、たまにアメリカの公用地様々な国の旗を飾っている場所がある。

そこで諸外国の国旗に混ざって風にたなびく日の丸を見ると、そのシンプルで清々し美しに見とれてしまう。

意外と知られていない日の丸の起源

さて日本国旗として活躍するその日の丸だが、

日の丸の起源は驚く程、古い。

世界一古いことは間違いない。

日本を象徴するのに太陽が用いられていたことを表す文面で一番有名なのが、聖徳太子が隋の煬帝に送った「日出處天子。。」で始まる国書だろう。

続日本紀の中の記録

この太陽をかたどった旗を用いた記録としては「続日本紀」の中に文武天皇が701年に「朝賀の儀」という儀式の会場の飾りつけに「日像の旗」を揚げたと記述がある。

これが日の丸の原型で最も古いものだと言われており、この旗が白地に赤丸であった可能性はある。

源平合戦の時代の日の丸

しかし「平家物語」の記述からも平安時代の末期までは「赤字に金丸」であったと考えられている。

源平合戦の際に平氏が赤旗、源氏が白旗を掲げ、戦った。

源氏側が勝利したので、この戦い後は「白地に赤丸」の日の丸が天下統一を成し遂げた者の象徴として受け継がれていった。

あの時、平家が勝利しておれば日本の国旗も赤地に白丸になっていたかもしれない。。」と思いを馳せると国旗の歴史にも愛着が湧いてくるものだ。

江戸時代の日の丸

この旗は江戸時代に普及していき、後期には縁起物も定番として認識されるようになった。

江戸幕府も公用旗として使用し始め、家康ゆかりの熱海の湯を江戸城まで運ばせる時に日の丸の旗を立てていたり、幕府の船と一般の船を区別する為に掲げられた。

1854年以降には外国船と区別するために日の丸を用いることが公布された。

1859年に幕府は「御国総標(おんこくそうじるし)」にするというお触書を出し、これによって日の丸が「国旗」としての地位を確立したことになる。

真っ白い生地の真ん中に真っ赤な丸。

太陽の強さ、明るさと正義のしるし

太陽の神、天照大御神を表す国の旗

それらが私たちの国の旗である、日の丸なのだ。

起源も、それに込められた思いも何もかも美しい旗だ。

最近では小さめのサイズの日の丸や、ドアにマグネットで取り付けられる旗を挿す小物なども普及しており、飾りやすくなっているようなので、まだやっていない方は、日本の旗日(祝日)には是非、玄関先に飾って欲しい。

旗日に日の丸が町中にたなびく風景はさぞ美しいことだろうと想像する。

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