もくじ
マッカーサー証言
GHQの総司令官マッカーサーは1951年5月米上院の軍事外交合同委員会で2つの重大な証言を行なった。
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日本が戦争に突入したのは主として自衛の為であった
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アメリカの過去100年の最大の政治的過ちは共産主義者が支那において勢力を増大して行くのを黙過してしまったことである
日本では知らない人はいないマッカーサーだが、アメリカでは知らない人の方が多いくらい意外と存在感が薄い存在の人になってしまっている。
それは、解雇時にマッカーサーがアメリカの裏側の存在に気付いて、真実を知ってしまったことに大きな理由があるとわたしは思っている。
フィリピンでのマッカーサー
強いイメージがあるマッカーサーだが、彼がフィリピンで指揮官をしていた時、日本軍が上陸するという知らせが入るがいなや指揮下の兵士を置き去りにしオーストラリアにさっさと敵前逃亡したことは日本の教科書に書いていない。
その時の彼の有名な言葉が今でも皮肉的に語り継がれる
「I SHALL RETURN」
だ。(帰ってこなかったのだが、、、)
子供の読む漫画に出てくる有名な言葉だ。
こんな臆病な男にGHQ総司令官として占領指揮されたかと思うと日本人として、余計に腹が立つではないか。
彼が置き去りにした米軍側の兵士が残されたため、日本軍はフィリピンを攻略しても、膨大な米国の捕虜を抱えてしまうことになった。
只でさえ日本軍の兵士に食べさせる食糧、物資が足りないのに敵国の捕虜に食べさせなければならず、移動も共にしないといけないので大変苦労したという。
限られた食糧、物資で闘っている南方の日本兵にとってはこの捕虜の面倒は戦闘上はとても痛手になる。
しかし
ことは言うまでもない。
しかし、ここでの移動の様子も「死の行進」をさせられたと史実に嘘の尾ひれをたくさんつけられ、戦後は日本軍の非道を喧伝するために利用されている。
バターン死の行進というのは聞いたことがある方も多いかもしれない。この米軍が歩かされたとプロパガンダされる距離は実際はほとんどは列車で運ばれており、実際に歩いたのはほんの数キロということは隠されている。
隠される日本の開戦の理由
日本が開戦に踏み切ったのは、何の理由もなくアメリカが癪に障るからぶっ飛ばしてやろうとか、植民地を広げてやろうとかそういう野心からだったわけでは到底ない。
しかし、終戦より73年も経って尚
と馬鹿の一つ覚えのように報じ続けるメディアや歴史家の姿勢たるや一体何なのだ。。
そんなに反省したいのならもっと反省すべき事が山ほどあるだろうが。
「そこから話をそらすなよ」と憤りを感じる。
それだけではない。
もっと反省すべき点の一つは、現在、日本に反省を強要する左翼側は戦前、工作員として暗躍していたことだ。
戦前戦中は一番国民に戦争を煽りまくっていたのは、今や日本の戦犯を第一線で糾弾する朝日新聞ではないのか。
自分達が種を撒いておいて、日本が敗戦するやいなや次は日本を叩き始める。
彼らの目的は一貫して変わっていないようだ。
日本国家の破壊
日本は強国アメリカと戦ったから馬鹿だった
と今までたくさんの人達に言われてきた。
しかし、いつもわたしが反論するのは、
ということだ。
そのことを日本人全員が知らなければならない。
原爆投下も戦争が始まってすぐの段階から(1945年よりもずっと前の段階で)既に計画されていたのだから、戦争を早く終結させる為とは全くの詭弁だ。
真珠湾よりも前に戦っていた日米
そもそもアメリカは真珠湾のずっと前にチャイナで日本軍と一線交えてる。
アメリカから派遣された空軍部隊フライングタイガースだ。フライングタイガースはチャイナ側の援軍として日本軍と空戦している。これも教科書に載っていない。
日本の歴史教科書は日米戦争の発端は日本から仕掛けた奇襲とそこから始まるが、
というのもそもそもアメリカのプロパガンダだから、日本人がそれを信じていてはどうもこうもならない。
本当にどうもこうもならないのだ。。。
さあ、抜け出そう。悪の自虐史観から。