もくじ
アメリカ史上最強部隊
第二次世界大戦当時、日系人のみで形成されたアメリカ軍の部隊はご存知だろうか。
その連隊の名は442連隊(442nd Regimental Combat Team)
この連隊は当時、アメリカで二世として暮らしていたハワイ島とその当時、強制収容所に入れられていた日系人の志願兵部隊として形成された。
この中には有名やダニエル イノウエ氏(アジア人初の上院議員)やサダオ ムネノリ氏(戦死後、最高の議会名誉勲章を授与)がおられた。
彼らのモットーは
米国史上最多の勲章や賞を授与した上(その数はなんと1万8千近くにのぼる)に、オバマ前大統領から連隊として最高の栄誉賞(議会名誉黄金勲章)を与えられおり、
とアメリカから讃えられる連隊だ。
訓練でも極めて優秀なことを証明した442連隊は、激化を極める欧州戦線(更に厳しい山岳地帯などの土地)に派遣されて、白人系アメリカ人で形成された、他のどの部隊よりも輝かしい功績を上げた。
442連隊がなぜ派遣されたのか
激しい欧州戦線で、ドイツ軍に包囲されて”失われた大隊”と言われた程、救出は不可能とされたアメリカ軍のテキサス大隊211名の白人系アメリカ人を救出する作戦のために、日系人による部隊が編制されたのだ。
これがアメリカの戦史でも語り継がれる陸軍10大戦闘に数えられるあの「テキサス大隊救出戦」(1944年10月)だ。
この200名余りの白人系アメリカ人を救出する作戦で、442連隊からなんとその4倍の死傷者800人以上が出ている。どれだけの激戦であったかお分かりになるだろう。
しかし、このような激戦での救出成功の大成果を挙げた後でも、助けた白人兵から
と吐き捨てられた人がいたという。
アメリカ白人兵を救出する決死の壮絶な戦いで、戦友を何百名も真横で失った悲しみの後に、感謝の言葉でなく、吐き捨てるように言われたこの言葉がどれだけ442連隊の兵士達の心に刺さったかは想像に余りある。
また、この連隊はナチスドイツの攻撃で激化を極める欧州戦線で戦うため、1943年にイタリア、1944年9月にはフランスへ派遣されナチスドイツ軍と激戦を繰り広げた。
なかなか奪還できないブリュイエールをドイツ軍から奪還した部隊の活躍を記念し、その活躍を讃え「第442連隊通り」という名称までつけられた歴史がある。
彼らが志願した理由
再度いうが、この連隊は日系人、つまり日本人の志願兵のみで形成されていた。
たくさんの日系人がアメリカ軍入りを志願をしたという背景には、アメリカ国内で始まった排日運動(日本人の土地を含めた全財産没収や強制収容所送り)への反発もあった。
明らかな日本人差別の中、
という忠誠の誓いをアメリカに見せるという意義があったという。
戦闘では、常に激化を極める最悪の地へ送られたことを考えると、また当時の黄色人種への人種差別があからさまであったアメリカの状況を考えると完全に捨て駒の扱いであったと推察できる。
しかし訓練でとても優秀であることをアメリカ側も見ているので、ある程度の戦果をあげることは期待しての派遣だっただろう。
この精鋭連隊は、祖国日本とアメリカが思わぬことで敵国になってしまった葛藤とも見事に戦い、日本人としての誇りを持ちながらも、アメリカ人としてアメリカに貢献するという立派な武士道を見せつけ輝かしい戦果を上げた。
東条英樹が彼らに送った言葉
この裏には東条英機首相自身の日本人魂、武士道魂を垣間見られる秘話もあった。
日米開戦時、東条はアメリカの日本人学校に通う日系人に手紙を送っている。
祖国日本と今の祖国アメリカの中で揺れ動き、葛藤に苦しむ日系人の若者の中でどれだけの者がこの東条の言葉に心が救われたかは、日系人ではないがアメリカ在住日本人として様々な経験をしたり、思考したりする私にも察するに余るものがある。
日本人同士でありながら、敵国同士になってしまった当時の状況を考えてみて欲しい。
家族の間でも、兄は日本へ帰国し日本兵として戦うことを決意し、弟はアメリカに残ってアメリカ人として戦う決意をするという分断を経験した家族もあった。
そういう状況の中、東条はアメリカに残る決意をした者たち、もしくはそうするしか道が無かった者達に対して、敵国の宰相としてこのような手紙を送っているというのが、とても律儀で真面目な東条の人柄をよく表していると思う。
トルーマン大統領が贈った言葉
また戦後にトルーマン大統領が、彼らの功績を讃えて、贈った有名な言葉はこうだ。
You fought not only the enemy, you fought prejudice-and you won.
(諸君は敵のみならず偏見とも戦い、そして勝利した。)
この大統領の言葉からよくも分かるように、当時、日系人はアジア人というだけで、ただでさえ激しい偏見を持たれており、その上で太平洋では日米戦争の真っ最中だった。
スパイとして働いたり、裏切るのではないかという疑いも勿論、持たれた。その偏見とも戦いながら、見事、アメリカ人として戦い、その偏見を撃ち破ったということだ。
おすすめの映画
以下はどちらも素晴らしい映像なのでぜひご覧になって欲しい。
一つ目は日本人が作成した邦画。こちらはドキュメンタリー映画で戦後のインタビューもたくさんある。(上記のダニエル・イノウエ氏もインタビューに答えている)
改めてその壮絶な戦いぶりと彼らに流れる日本人としての武士道精神に尊敬の念を抱かずにはおれない。
二つめはアメリカ側が作成した映画。軍隊の中でも彼らが受けた人種差別の様子なども淡々と描かれているし、苦しい戦場でも見せる明るい笑顔や会話の様子も描かれていて面白かった。
ハワイの空港の名称変更
さて、2017年にハワイのホノルル空港がダニエル イノウエ国際空港という名称に変更になったが、この名称の元になった方が先に言及したダニエル イノウエ氏だ。
この方こそ、この442連隊の中の部隊で日系人としてアメリカの為に闘い、日系人で初めて上下両院議員になった偉大なお方だ。
議員宣誓で右手を挙げるように言われたイノウエ氏は
と堂々と発言し拍手喝采を受けている。
このダニエル氏の母も息子を送る時に以下のような言葉を残している。
「イノウエ家はアメリカから大きな恩恵を受けている。今こそお返しをする時である。
お前は母親にとっても私にとっても大事な長男だ。
しかし、しなければならないことはすべきである。たとえそれが死を意味しても。。イノウエ家の家名に泥を塗るようなことはするな。」
過酷な人種差別と闘った日系人
アメリカに渡った日本人のご先祖は過酷な有色人種に対する人種差別(最後には排日移民法)にも耐えながらも、それに伴う自身のアイデンティティという心の葛藤と闘った。
アメリカに忠誠を誓うことで日本人として恥ずかしくないように日系アメリカ人として戦う決意をされ、素晴らしい精神力とチームワークでもって、大日本帝国軍と同じようにその強さを見せつけている。
どこに住もうが、国籍上は何人であろうが、日本人の強靭な精神と大和魂がしっかり受け継がれていたという誇らしげな話だ。
私はこの話を学校教育で一度も教えてもらっていない。
大人になるまで知らなかったことに憤りさえ覚える。
このような話こそ、日本民族の誇りある歴史として子孫に語り継いでいくべきだと思う。