知っておきたい歴史の真実

アメリカ全般

追憶の日:日系人強制収容所の歴史

2月19日はアメリカではどんな日かご存知だろうか。この日は#Day of Remembrance (追憶の日)と言われている。 何を思い出すのか? 1942年2月19日にフランクリン・ルーズベルトが大統領令9066号を出したことだ。この令で日系アメリカ人が強制収容所に入れられる惨事が生まれた。
歴史と向き合う

日本が降伏した日:礼服と軍服に込められた日本人の思い

今回は日本が正式に降伏の意を表明した日のことを思い返してみようと思う。 大東亜戦争の真実を知ること、そしてその戦争が日本人に与えた影響を考えること、そしてそこからわたしが考察することを他の人に伝えることが、いつしか私のライフワークのようになってしまった。 この戦争は日本が国を開いてから、外国と行った戦争では、 .
情報戦・ デマ

日本の皇室は男尊女卑ではない

こちらから見ていて日本がとても危ないなと思う事は(それはここアメリカでも同じことが言えるが、そしてだからこそ警鐘を鳴らすのだが)、 マスコミの毎日の異常な報道の繰り返しで「んー?そうなのかなー?」とよく考えず波に流されていく民が圧倒的過半数...
愛国教育

特攻の産みの親とはどんな人物だったのか

特攻隊員が命令されて行ったというからには命令した者がいる。その作戦を最初に立案した者がいるはずだ。その者は立案者ということで、反日勢力からは殺人鬼の様な言われようをされることがある。今回はこの『特攻の父』と呼ばれたある人物に焦点を当てて、命令をしていた者は本当に血の通わない冷酷な殺人鬼だったのかを検証していきたい。
歴史と向き合う

陸軍の異端児:石原莞爾

満州事変という歴史は日本で義務教育を受けた人なら必ず学習する。しかしこの事変を作戦、実行した陸軍の異端児軍人のことはどれくらいの人が知っているだろうか。余りに聡明で壮大なことを考えられるから周りがついていけない部分があったのかもしれない。
第二次世界大戦・大東亜戦争

戦後復興の裏の涙:このままではいけない

祖母は戦争で二回も家を失っている。敗戦利得者の裏で屈辱の辛酸を舐めながら、でも無言で「なにくそ!」と地獄から這い上がった日本国民のお蔭で、荒れ地にされた大地から奇跡の復興を遂げたことの凄まじさがあまり語られない。 その屈辱感とご苦労を後世の我々は決して忘れてはならない。
アメリカ全般

東郷平八郎を敬愛したニミッツ提督

東郷平八郎を心から尊敬していた有名な外国人がアメリカにいた。太平洋艦隊司令長官だったニミッツ提督だ。当時、進駐軍によってダンスホールにされ荒れ果てていた戦艦三笠を個人寄付金と共に見事に復元させた。東郷神社の復興に尽力したのも彼だった。
情報戦・ デマ

反省する所が違うだろ:マッカーサー証言を知る

日本が開戦に踏み切ったのはアメリカが癪に障るからぶっ飛ばしてやろうとか、植民地を広げてやろうとかそういう野心からだったわけでは。 しかし、終戦より73年も経って尚、「日本は他国に多大な迷惑をかけた。反省、反省」って馬鹿の人一つ覚えのように報じるメディアの伝え方たるや一体何なのだ。。そんなに反省したいんならもっと反省すべき事が山ほどあるだろうが。
抜け出せ自虐史観

市丸中将の最後の言葉:ルーズベルト大統領に物申す

今回は大東亜戦争で最大の激戦地、硫黄島で戦死された市丸利之介(りのすけ)中将がアメリカ合衆国のルーズベルト大統領に宛てた手紙を紹介したい。硫黄島で戦死した市丸利之助海軍中将(最終)が硫黄島の暑くて暗い洞窟の中で書いた米国大統領ルーズベルトへの書簡だ。
国外(外交)政治

マッカーサー証言を教えられない日本人

故渡部昇一先生と言えば「マッカーサー証言」を思い浮かべる人も多いだろう。アメリカでは今や全く影の薄い存在のGHQ総司令官ダグラス・マッカーサーだが、日本にとっては最重要人物の一人だ。 アメリカ統治下の最高司令官だった彼がアメリカの軍事合同委員会で、、