戦後復興の裏の涙:このままではいけない

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韓国人は自分たちだけが戦争被害者であり、日本は戦争犯罪国だと非難し続ける。世界に向けては、一生懸命に被害者面をして同情を乞おうとすることを続ける。

しかし、軍人のみならず一般日本人も同じように、いやそれ以上に大変な状況で、戦争と対峙していたことを忘れてはならない。

そしてその当時、朝鮮は日本に併合(植民地ではない)されていたので、朝鮮人は日本人であったことも重要な事実だ。

戦争末期の頃は、、

日本中が食べ物に飢え、金目の物は鍋、寺の鐘でも提供し、学校を辞めて男子は戦場へ、女子は工場で働き、苦しいがそれでもお国の一大事と国民一丸となり耐え忍んでいた。

それを国という権力に国民が翻弄された黒歴史であると戦後、一貫して左翼は我々の頭の中に刷り込んできたが、国が無くなるか否かの一大事に国民が力を一つにして戦うことがなぜ悪いことなのか。

今は亡き私の祖母は大正3年生まれなので言わば戦争と共に生きていた人だ。

アメリカ軍の焼夷弾の攻撃で、実家と疎開先で家を二度も消失している。持っていたものを全て失った。そんな中で子育てもしなければならなかった。

そんな経験をしているのだから、さぞ戦争を恨んでいるだろうと思うかもしれない。

生まれた時から祖母と同じ家で暮らしていた私は典型的な「おばあちゃん子」だったから、戦争中の話をお茶うけ話のように聞きながら育った。

しかし、そんな祖母から恨みつらみなど一度も聞いたことがなかった。

想像を絶する体験を笑いながら話してくれた。

 「戦争中やったら仕方がなかったんや。あの時はみーんな大変やったんや。

そして最後にはいつもこの言葉で締めくくる。

今の日本では自虐史観が蔓延しているが、当時の日本国民が押しなべて自虐史観を受け入れたわけではない。

特に戦前を青年以降として知る日本人はアメリカに敗戦したという絶望感の中、無言の抵抗で復国に心血を注いだ。

日本全国を荒れ地、焼け野原にしたアメリカが「この国は100年は復興にかかるだろう」と言っていた国を復興させるために。

敗戦利得者の裏で屈辱の辛酸を舐めながら、でも無言で「なにくそ!」と地獄から這い上がった日本国民のお蔭で、荒れ地にされた大地から奇跡の復興を遂げたことの凄まじさがあまり語られない。

その屈辱感とご苦労を後世の我々は決して忘れてはならない

それなのに、先人の努力の結晶である日本の根幹企業をよりによって中共に売却され、政府も助けないとは遺憾という言葉では軽すぎる。

戦後生まれ、日教組教育真っ只中の私でさえ、学校の歴史教育にすぐに違和感を感じた。

違和感を感じたが、何もできなかった当時と違い、今の学生はインターネットがある。この様にブログを読むことも出来る。調べよう、知ろうと思えば、指一本でいくらでも情報は掴める。

これを恐れる左翼は「ネトウヨ」という言葉を作り、そのような風潮さえも軍国主義の再来かの如く悪いことのように印象操作し始めた。

こんな流れに負けるわけにはいかない。真実を知る人をもっと増やしていかなければ。



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