を夢見たり、
と国際的な組織に入ることを目指しながら英語勉強を頑張っていた昔を思うと、私も広義では脱左翼した一人と言える。
学生時代は世界平和などの言葉に純粋に感動して「世界の平和の為に何かしたい!」と使命感を燃やしていたのだから。
しかし、日本を出て様々な海外で暮らし、外から日本のことを勉強していくうちに、私はすっかり変わってしまったようだ。
勿論、今でも平和を心から望んでいるし、罪のない人達が、特に子供が犠牲になる世の中の不条理にとても腹が立つ。
しかし、平和への道は「世界平和を。核廃絶を。」と九条のお札の会の人達のようにただ念仏を唱えるだけでは実現しないことははっきりと分かった。
そして逆にこの様な事を言う人の方が
と猜疑心の目で見るようになってしまった。
幸か不幸か闇を見過ぎたようだ。
最近では、本当の意味での人類の平和は、日本が世界の盟主になった時だと感じている。
なぜなら、日本人ほど世界が平和で笑って暮らせる事を心から祈れる民族はいないと思うからだ。
世界と比べても驚く程の平和な歴史を歩んでくることができた民族は、他の国々の人々の様に文化にやDNAにまで深く染みついてしまっている人種差別や宗教の怨念がまずほとんどない。
それはとても大きい要素だと思っている。
『それは他を気遣えるほど豊かで平和だからだ!』と反論してくる人もいるが、3.11の津波の際の日本人の振る舞いを思い出してほしい。
世界のメディアは津波の恐ろしさに驚愕したが、実はその事よりも大々的に報じたことがある。
あのような災害のただ中であっても、
だった。
私も津波のニュースがあった直後にこちらのアメリカ人に言われたことの中で一番印象に残っているの言葉が
だった。
津波の災害の凄さも衝撃的だったけれど、それ以上に世界の人は災害に対処する日本人の道徳観の高さに感銘を受け、一斉に報道していた。
非日常の不幸の只中でも、普段と同じ美徳を持ち続けられる日本人はやはり稀有だ。
世界の多くの国では自国民に誇りを持たせ、国民を一致団結させる為に捏造や誇張で盛りに盛った「自国の歴史観」を植え付けるのに必死だ。
それに対して、日本人は自国の真実の歴史を学べば学ぶほど日本人である自分自身に誇りを持つことができる。
日本の歴史を悪いように解釈したり、捏造したりする人は巷には数多おり、大きい顔でメディアに露出するのに、少しでも良いように解釈すると
「それは史実でない!歴史修正主義者だ!」
と一斉に総攻撃を受ける不思議な言論空間が日本にはある。
『私、チャイナかどこかの国のテレビを見ているのか??』と思う時もある。
普通、自国の歴史は良いように曲げるだろうが。。。同じ曲げるなら。
日本人は外国の事を気にし過ぎるが、自分達の独特の民族性を誇りに思い、大事にしながら世界の手本になれば良いと思う。
日本人は日本人として生まれた自分にもっと誇りを持って良い。
そろそろ抜け出そう、自虐史観から。