『永遠のゼロ』の小説や映画の空前の大ヒットにより、自分達の先人が、また自分達と同じくらいの年齢の若者が、死に物狂いで国を、そしてそこに住む家族を守るために戦っていた一つ前の戦争に、今までさほど興味がなかった若者も、自分も過去と繋がる日本人の一構成員であるというリンクを感じた人が増えただろう。
日本人には古来より、切腹という儀式があったことからも分かるように、
【自分の生き方には自分でけじめをつける】
という文化がある。これは世界から見たら実はとても特異な文化だ。
キリスト教の国、アメリカでは自殺は神への冒涜であり、悪い行い(地獄に落ちる行為)という教えがある。
どんな事があっても自殺してはならない、いつ死ぬかは神の手にあり、人間が勝手に自分の都合で決めてはいけない、神が死の時期を決めるまで、最後まで生き続けるのが神の子としての使命だからだ。
対して日本には、、
の武士道が綿々と時代を経ても引き継がれており死生観の違いがまず圧倒的に違った。
だから、特攻隊の攻撃を、アメリカ人はしばらくは何が起こっているのか理解できなかっただろう。
考えても理解など到底、できなかったはずだ。
とにかくすっかり洗脳されたロボットのような心を持たない言わば
【クレイジーな人達】
だと思っていたという。
彼らがゼロに乗る搭乗員の人となりを初めて垣間見られたのは、ある時、特攻に失敗して体が残った兵士の遺体の胸元から見つけた手紙や家族の写真だった。
その時にその日本人兵士らも
と分かった。
それに加え、アメリカ人が驚いたのは彼らの知性の高さだったいう。
多くの兵士は短歌のような詩の形で気持ちを綴って、各々が手帳に書き残していた。
アメリカでは下っ端の兵士達はどちらかと言えば貧しいから食う為に軍隊に入る若者が多い(これは今でも同じ状況だ)。
すると自然に教養がなく粗野な若者も多くなる。読み書きなどまるでできない者も多い。
これらの兵士に比べ、日本の特攻で死んだ若者兵士達は達筆な上に高い教養を持った者だった。
だと思っていた敵の兵士達が実は理路整然と自分の命の終わり方に意味を見出し、覚悟を決めて、至って冷静沈着な気持ちで、あのゼロ戦をここまで操縦飛行した後に、艦隊めがけて高速で突っ込んで来ていたのかと理解した時に、それまでよりも強い畏怖の念を抱いたことは想像に易い。
「何なんだ、こいつらは。我々が闘っている奴らは何者なんだ。一体、どんな人間が日本列島には住んでいるのか」と。。
特攻隊の生存者の方によると、ゼロが高速で急降下する時の圧力が強烈でその痛みは脳みそが耳から出てくる程のものらしい。
そんな事を言われても我々には想像が難しい。
しかし、どれ程、過酷な状態で操縦桿を握り続けないといけなかったのかという事を少しは想像できる。
しかも、その極限状態の中でも特攻隊は通信使へ暗号を送り続けている。敵に命中したのかどうかを伝えないといけないからだ。
失敗して海に落ちていく時と艦に突撃する時ではツーツー音が異なる。
特攻隊が送る最後の無言のメッセージを受け取る為に通信使は一生懸命、耳を傾ける。
ツーツー音が消えた時はその搭乗者があの世にいった時だ。
ツーツー音が途絶えた時は通信使はその操縦士の最後の命のメッセージの終わりに何とも言えぬ気持ちになったという。
この特攻作戦に関わった者は、実際にゼロに乗っていた軍人だけはなく、命令を下す上官、同志を見送る仲間、護衛をする者、飛行機の整備をする者、通信士、各人それぞれに壮絶な思いがあった。
皆、それぞれの場所でそれぞれに与えられた任務を遂行しようと必死に闘っていた。
日本が再び侵略を受けている今、我々の多くはそれにさえも気づいていない。
闘うことも忘れている人たちが多い。
たった80年前に、日本を守るために自分の命を捧げてくれた先人に顔向けできる生き方ができているか、今一度、我々は自問した方がいいだろう。
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[…] 武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり。。 […]