神風特攻隊員の最後を目の前で見たアメリカ人の話

アメリカ全般
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未だ理解されない特攻攻撃

小説や映画「永遠のゼロ」が話題になったからか、若い層にも新たに神風特攻隊のことに興味をもった日本人も増えたような気がしている。

未だにアメリカには、クレイジーな精神異常者の様な扱いをされる若い兵士たち。

彼らはアメリカ人がかつて想像していたような【感情がないロボット】などでは決してなかった。

また、読み書きができない黄色い猿が、訳もわからず、飛行機に乗って、それごと突っ込んだ訳ではなかった。

そんな欧米人の妄想は全く現実でないことを私たちは知っている。

靖国神社の遊就館、呉の大和ミュージアム、知覧の特攻会館などに行った方は、特攻に出撃する直前に彼らが残した家族などへあてた遺書を読み、嗚咽を堪えられなかっただろう。

なんと冷静に時代の流れと己の使命を捉えられており、また自らの使命全うに対して起こりうる家族に対するの心配や悲しみを綴りながらも、まったく暗いものというよりは未来に希望を託すという前向きな姿勢が見られる。

それらの遺書は、その人たちとは直接血の繋がりがない我々にまで直接語りかけているかのような錯覚に陥り、日本に対する責任が思い気持ちになったりする。

ただ祈りを捧げてほしい

当然のことだが、神風特攻隊はいつも我々、日本人の視線で良し悪しが語られる。

左側は、

犬死にだった。まったく無駄な作戦だった。かわいそう。戦争の被害者。大日本帝国の犠牲者。悲劇の象徴。

一方、右側は、

誇り高く立派に使命を全うした。勇敢に闘った。決して犬死なんかではなかった。初期はかなりの戦果を上げた。彼らの存在があったからアメリカは日本という国をとても恐れた。未来の日本の礎になった。

どちら側も様々な言葉で彼らを表現しようとする。

大空に散っていった2000余人の若い兵士たち一人一人の本当の気持ちなど、温室のような日本で平和にぬくぬくと育った80年後の我々には手に取るように分かるわけがない。

だからこそ、ただ与えられた任務に従って大空に飛び立って行った若い兵士のことを思う時に、我々ができるのは、それを良いか悪いで評価することではなく、国のために戦ってくださった先祖、そして今の我々に繋がる日本を守ってくださった先祖に感謝の気持ちで手を合わせることだと思う

特攻攻撃に遭ったアメリカ軍人を思い出す

さて、こんな事を考えていると、どうしてもご紹介したい人が想い浮かんだ。

日本からの特攻攻撃を敵軍として実際に受け、友人をたくさん失くし、特攻隊員の一人を目の前で見た退役アメリカ軍人の方だ。

アメリカには「退役軍人の日」という祝日があるのだが、その日を前にしてインタビューを受けた時の彼の言葉をある雑誌で偶然読んだ時に私の心にズドンときた。それから個人的にもインタビューをお願いしたいと計画していたが、病気やコロナ禍による制限などが重なり日が経ってしまった。

以下に私の心に深く響いた彼の言葉に訳をつけてご紹介したいと思う。

大日本帝国海軍との死闘の末に生き延びた退役アメリカ軍人の言葉だ。
静かな思いで読んでいただきたい。

インタビュー記事の抜粋と日本語訳

91歳になる第二次世界大戦の退役軍人であるグラハム氏は、今でも大きなピックアップトラックで街を走り、歩行器を使って徒歩で用事を足している。

彼は91歳にして、いまだ鋭い記憶力を維持していた。第二次世界大戦中、日本軍と戦っていた戦艦1隻だけでなく、他にも2隻の戦艦に乗船していた。「退役軍人の日」を前に、戦死した戦友を偲ぶグラハム氏の実像に迫った。

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