差別とは何か:日本にはアメリカのような差別が存在するのか?

アメリカ全般
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ツイッターでこんな事をつぶやいた。

差別って「なくせ!」と言われてなくなるものじゃない。アメリカは表向きは平等でも強烈な差別社会だ。
日本人は世界で一番、差別(心の壁)がない人達だなっていつも思うのに、なぜ日本の政治家は外国人差別の話しかしないんだろう。
まずは日本人を第一に考えようよ。
#外国人差別 #ヘイトスピーチ 

これにはかなりの反響があったのだが、あるフォロワー様から以下のような質問をいただいた。

宜しければ教えて頂きたいのですが、、そもそも「差別」の概念が日本人と外国人と全く別物である事が問題なのでは?と感じるのです。実際住まれていて、どの様に思われますか?(それを差別と言うならばですが)必要な差別もあると思うのです。

この『差別』の話題については、昨今の日本のNO差別❗️の風潮を見ていて湧く違和感などでわたしも思うところが沢山ある。

アメリカでの差別については以前にも記事にしたことがある。(『日本人はアメリカで差別されているのか?グローバリズムで日本が破壊される?』)

さて、今回いただいた質問に回答しようとする中で、またあらたに言いたいことが増えたので書いておこうと思う。

というのも、この質問をいただいた丁度その日に、私が今回の記事で言いたかった『米独特の差別』を久しぶりに体験したからだ。

わたしはどちらかと言えば、人当たりも良い方だし、長い経験でアメリカ人への対応の仕方もある程度、自然に身についているので、嫌な気持ちになることはほとんどない。

しかし、その日は他のフォロワーさんが仰っていた以下⬇️のようなことがあった。

アメリカで体験した様なのが人種差別。日本にはあんなのないです。聞こえない見えない振り、私が空気の様に自分が居ない物として扱われる事に愕然としました。

本当にこんな感じのことがあるのだ。

日本人が『差別』と聞いて思うのは、積極的なものだろうと思う。

積極的というのは関心からくる差別だ。つまり在日や韓国、チャイナのことを差別しているとよく非難されている日本人だが、それは

『自分たちが大いに迷惑を被っているからこそ起こる嫌悪感の表現』だ。

どちらか言えば、嫌いという感情。

しかし、嫌いという感情は、興味がないと生まれないし、あちらの人種も自分達と同等に扱っているからこそ、そして、そういう心があるからこそ生まれる期待を裏切られた残念な気持ちから来る事が多い。

例えば、『なんで私たちのようにマナーを守れないんだ』とか『嘘ばっかり言うなよ』などで起こる感情だ。

しかし、本当の差別というのは、その人の存在さえもを認めないものだ。

アメリカはとにかく広いし、地域差がとても大きいので、一概には言えない部分が多いので、今回は白人のアジア人に対する差別限定で進めていく。

最近、あらためて強く思うのは、アメリカ人というのはとても怖がりな人達ということだ。

彼らは強いイメージを持っている日本人は多いと思うが、以外とそうでもない。彼らは恐怖感を常に持っている。

恐怖感というのは、人に裏切られるのではないかという恐怖感だ。特にアメリカは治安が悪いので、いつどこでどんな犯罪に巻き込まれるか分かったものでないと皆、思っている。だから知らない人には過剰に警戒する特徴がある。

アメリカ人は日本人に比べてフレンドリー♪

と言う日本人は多い。それはきっと知らない人にも通りすがりに『Hello!』と挨拶してきたり、友達のように話しかけてくるイメージだからだろう。

あれは本当のことを言ってしまえば、、、

自己防衛なのだ

よく分からない人にはとりあえず挨拶してみて、反応うかがいをしているのだ。(挨拶の仕方で人となりはある程度、わかるので)

だから、明らかに危ない人には絶対に挨拶しない。通り過ぎたくないので、道を変えたりもする。

アメリカで、日本人が『差別されたかな?』と思う時の大半は、彼らの意識的な白人優生思想から来る差別ではなく、知らない物へ警戒する差別が多いだろう。

それに比べて、日本人は殊更、知らない物への恐怖感が少ない民族に見える。

『日本人は島国根性があるから〜』

と反日勢力は揶揄するが、わたしはまるで違うと思っている。

日本人は歴史的に見ても、常に驚くほどオープンマインドで、外のものを取り組み、日本風に変えていく魔術師のような国だった。(しかし、国とそこに住む人たちを守ると言う意味の安全保障の点では今よりもしっかり怠らずやっていた)

それには性善説というのも深く関わっている。性善説で生きる民族は人に対してだけでなく、全ての物事、事象、自然(森羅万象という言葉にも表れているように)に対してもそういう考え方ができる。

そして、知らないものに対する警戒心が徹底的に低い。これは日本人の特徴として、私は個人的にとても好きで、これからも残っていければよいと思っていることだが、この警戒心の低さを世界が利用しているのは決定的な事実だと思っている。

また、排他的でないので、好奇心が旺盛になれる土壌を持てる。

それに比べてアメリカ人は、宗教原理主義の人たちが作った国という背景もあって、日本人に比べたらとても頭の硬い人たちが多い。(一般に日本人がテレビやメディアに露出が多くてアメリカ人と思っている人たちはDS系で、これとは反対の人たち)

外国人に慣れていない地域だと特に『分からないものは怖い』が原則。だから悪意を持ってやっているというより無意識的なものが多いのだ。関わらないでおこう的なものもあるだろう。

また、地理には徹底的に疎いアメリカ人は、日本もチャイナも韓国も違いが分からない人が多いので、今回のウイルスの件でチャイナが嫌いな人は、アジア人全体をよく思わないというアジア一括りのとばっちりも受けやすいのは確かだ。

日本人だからというより、アジア人だからの差別だ。

日本ではアメリカであるような差別は存在しない。

しかし、『差別は人を傷付ける』と言えば、外国人や在日に対しての犯罪の糾弾であっても、迷惑なことをして欲しくないというような至極、まっとうな意見であっても言ってはいけないような風潮を作り出すには有効だからあちら側が使うのだ。

最近では

『差別ではなく区別だ!』

という表現もでてきた。

ボーダレスの国に変えていくなら、最低でも区別はしっかりしていった方が良いだろう。

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