もくじ
ネトウヨというレッテル
これは世界的にみてもとても滑稽な現象だ。
日本では国家を守るためには当然の国防、国家安全保障、国旗国歌、国家元首等を重要と考え、それを真剣に語る人はかなり右に追いやられる。
ネトウヨというこの言葉は誰がいつから使い始めたのかはよく知らないが、(ある説では共産党系が作った言葉だという)想像するに
に使い始めた言葉なのだろう。
今では皮肉にも愛国者のことを表す言葉になっており、ネトウヨと呼ばれたら嬉しいという人が多くなってきたのはとても面白い傾向だ。
またネトウヨと呼んで罵倒してくる人達がどんな人なのかを見てみるのも面白い。その人達の言動を見ていたら、大体は褒め言葉として受け取って良いんだなと分かる様になって来た。
右と左で分断される日本
しかし、いつからか美しい伝統と歴史を持つ日本が大好きで、次世代にもそれを同じ様に繋いでいきたいと思う普通の感覚の人達とは反対側にいる人達を「パヨク」や「反日」と呼ぶ人達が現れ一般的になっていった。
本来、右も左も政策や意見の違いはあれど、国益を守る、他国からの侵略を阻止するという同じ目標を達成する為に存在するはずなのに、今の日本では国益重視が右で、反日(最近ではこの人達は自分達をリベラルと呼ぶようになった)が左のようなおかしな構造になってしまっている。
これは良くない状況だ。
私は自分を右とか左などと意識していない。
パヨク、ネトウヨ、右翼、左翼、自称保守、リベラル、反日と数々のレッテルが存在するが、自分がどのグループに属するかとかあまり考えないで、
で議論していきたいと思っている。
ツイッター見てると、どこかの政党だけを応援しているとか、何かの団体に属してるとか、イデオロギーで纏まってるとか、そういう人達がとても多い。
わたしは本当にそういうの興味がなくて、究極の話、
私が好きな日本を残しながら日本という国の存在感を出しながら発展させてくれるな誰でも良いのだ。
今でもずっとそういう人を探しあぐねいている。
何年か前にやっと『この人だ!』と思って応援していた政治家は出馬後に病のために亡くなってしまった(涙) とても悲しかったし、落胆した。
あの様な滅私の精神で日本のためを思って出馬する様な政治家がまた出てくるまでとりあえず今は自分が出来ることをしてゆこうと思っている。
長い海外生活を経る中で得た様々な体験を通して
日本の伝統文化の神々しいまでの独自性と宝物のような貴重さ
をいやというほど感じてきた。
そのような国を悠久の時間、延々と紡いで来て下さったご先祖に感謝し、自分もいち日本人として生を受けた以上、次世代に繋いでいく使命を果たしたい。
そんな気持ちをもって日々の活動を行っている。
政治の話はタブーな日本
なかなかこの様な話は友達や知り合い、同僚には言いにくい時がある。
私がこのような話をするとやはり
右翼なのか?
という目で見られたり、
昔となんか変わったね〜
熱く語ってるね〜
なんて、からかわれたりする時がある。
友人関係がぎくしゃくするのもあまり気持ちの良いものではないので気が引ける時がある。
しかし、事あるごとに、機会があれば話題に入れるようにしている。話し方にも工夫がいるなと少しずつ学んできた。
わたしがリアルの知り合いに話す経験の中で試行錯誤しながら学んだことは、お花畑が拒絶反応を示すような言葉を極力使わないことだ。
そして、その人達が気づいていることからまずは話し始める。
例えば、「外国人観光客が多くて嫌だよね。うるさいよね。汚いよね。」とか「小室圭の母親って怪しいよね。お金が欲しいみたいだよ。」みたいな事から話の突破口をつかんだらいい。
諦めずに言い続けよう
皆さんの中にも周りにはなかなか同意してくれない人がいたり、何よりもまず国防に関心がある人を探すことさえままならない状況にイライラしている人も多いのではないかと察する。
しかし、諦めずに探して欲しい。諦めずに話して欲しい。
そうすると少しづつでも話に耳を傾けてくれる人が増えていくだろう。
日本を守るのはやはり我々、庶民の一人一人の強い意志と団結力しかないと思っている。
そこをあちら側は崩そうと総力戦で攻めてくる。メディアを支配されているので、今までは我々は劣勢を強いられてきた。
これからは違う。ネットがある。情報はいくらでもある。
もちろん、真実か否かを見極める洞察力も更に要求されている時代でもある。
しかしそのネットで真実を知る若者が増えてきた。日本人に脈々と受け継がれてきた大和魂がうずいてきた人が増えてきた。
あきらめずに頑張ろう。
我々のご先祖があきらめずに最後まで闘って守ってくれた日本を守ることができるのは、守らなければならないのは我々だ。
とにかく私の発言が真ん中を堂々と闊歩できる日本になることを願ってやまない。