海洋冒険家 堀江謙一氏の言葉:当たり前である祖国への愛

季節のごあいさつ・徒然なるつぶやき
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サイトの提案箱から、素晴らしい言葉をご紹介下さったフォロワー様がいらっしゃった。

その言葉を読んで、

『本当にその通りだな。。(涙)』

と深く共感したので、紹介して下さった方へのお礼の気持ちを込めて、こちらの記事でご紹介したい。

頂いたお手紙

アメ様、応援しています📣

単独太平洋横断された冒険家、堀江謙一の言葉をシェアさせてください。

僕が78歳のいままで、世界中の海をヨットで航海できたのは、戦後70年以上、日本が平和だったからだ。日本が平和だったのは、“平和憲法”を堅持したからではなく、命をかけて日本を守ってくれた自衛隊がいたからだと思っている。
 日本国憲法が認めているのに「自衛隊が違憲だ」などという考え方があるようでは、日本を守ることなど到底できる訳がない。それ以前に、命がけで日本を守ってくれている自衛隊員に対して失礼だ。もっと誇りをもって任務について頂けるように憲法を改正すべきだと考えている。 右であれ、左であれ、愛国心をもって国について考えているのなら、ぼくは聞く耳を持つ。しかし、ぼくは反日だけはカンベンしてほしい祖国を愛さないなんて、少なくとも海の男にそんな人はいない。ぼくはこれからも祖国への愛を忘れずに、100歳まで海洋冒険を続けたいと思っている。

わたしの感想

さすが戦前生まれの言葉には重みがあるなと思う。

そして、昨今の日本の保守とリベラルの対立を見ていると、考え方の違いというよりか、愛国VS反日かの対立(もしくは護国か売国)であるように見えて仕方がない。

アメリカでも右と左の対立はあり、家族の間で喧嘩が絶えないということが結構、どこの家庭でもあるのだが、基本的にどちら側もアメリカという国は大好きで、アメリカ国旗やアメリカ国歌が好きな人たちが、考え方や政策の違いで家族間の意見が分かれているだけだ。

政治家でもそうだ。リベラル派と呼ばれている人の中でもアメリカ愛を感じる人は沢山いる。

しかし、日本には日本を壊したいとか乗っ取りたいという勢力が強すぎる様に見えて仕方がない。それは経済界や政界を見ていてもよく分かる。そして、それを知って意図的にやっている反日勢力だけでなく、そうとは知らずに加担してしまっている政治にまるで興味がない人たちが多いから、今のような状態になってしまったのではないかと思っている。

堀江さんが仰るように、本当に

反日だけは勘弁してほしい。。

堀江謙一さんとはどんな人物なのか

この方に興味が湧いたので、調べてみた。

ネイチャーひょうご:日本人初、ヨットで太平洋単独横断 海洋 ...

簡単なプロフィール

1938年大阪生まれ。2020年で82歳。

関西大学第一高等学校に入学後、ヨット部に入部し、海とヨットの楽しさを覚える。

彼を世界的に有名にしたのは、世界初、単独で小型ヨット(長さ6メートル、幅2メートルにも満たない大きさ)の「マーメイド号」で太平洋を横断した出来事だった。(兵庫県西宮の港を出向し、アメリカのサンフランシスコに到着)

このマーメイド号は公益社団法人・日本船舶海洋工学会の「ふね遺産」に認定された。実際のヨットは堀江さんがサンフランシスコ市に寄贈されたので博物館に大事に保管、展示されている。

太平洋横断

1962年の5月12日に出発し、サンフランシスコに到着が同年の8月12日到着したので、航海日数にして94日間の航海となった。

当時は小型ヨットで単独無寄港太平洋横断は世界初であったのでかなりのニュースになった。

地元の新聞紙にも

「パスポート無し、英語無し、金無し

で日本からヨットでやってきた若者(当時23歳)」と書かれたらしい。

積んだものは、自分自身と、水20リットル、米40kg、缶詰200個だったそうだ。

先人への思い:太平洋横断中の言葉

堀江さんは、太平洋横断中に、先の大戦で散華された先人への哀悼の言葉を述べた。

この海で、多くの海の先輩たちが散っていったのだ。。この海で亡くなった3500名もの日本人将兵にも、家族がいて、母親がいた。どれほど家族や母親に会いたかくて、日本に帰りたかったことだろうか。。

この海で眠っている先輩の皆さん、ぼくはいま、皆さんに捧げる花束を持ち合わせていません。お許しください。しかし、もしこのヨットが無事にサンフランシスコのゴールデンゲートをくぐってゴールしたら、それを先輩方に捧げる”花”とします。

強靭な精神力

今よりも無線技術や気象予報技術が発展していない時期なので、いつ台風や嵐に巻き込まれて小型ヨットなどは転覆しないものかと普通はさぞ恐ろしかっただろうと思うが、彼のすごい所は

『嵐の日は休日やと思って、ビールを飲んで寝てた。』

とさらっと笑って言ってしまう所だ。

群れるのが好きな人間にとっては、そんな長い間、孤独に耐えられるものなのか?と思うが、これにも

『一人のほうが気楽なこともある。』

という対応。

もちろん、堀江謙一さんはヨットマンとしての操縦技術や、災害回避能力などが備わっているからこその自信だと思うが、この精神力がさすが戦前生まれだなと思わざるをえない。

誰かと一緒にいないと、また、誰かと同じことをしていないと不安になってしまうスマホ依存の現代人からしたら、想像できない精神かもしれない。見習いたい。

帰国後に執筆した航海記「太平洋ひとりぼっち」は当時ベストセラーになり、石原裕次郎主演で映画化までされた。

ヨットで世界一周も達成

その後に世界一周にもチャレンジ。最初のチャレンジはマストが原因不明で折れてしまい、断念されたが、翌年には航海日数275日で世界で2人目の偉業を果たされている。

その後も世界一周を反対周りで再び行うなど、世界でも行われた偉業を成し遂げ、2006年には69歳の時に、波の力だけを推進力とするボートで日本からハワイへの航海を成功させた。

堀江謙一さんの現在

現在、堀江謙一さんは82歳になられておられるので、世界一周や、ヨットで外国へ航海には行かれていないが、ヨットには乗り続けておられる。ヨットや船仲間と色々な所にいって美味しいものを食べて楽しまれているということだ。

2009年には西宮甲英高等学院の校長に就任し、教育現場での活躍もされている。

堀江さんの現在の追記

ヨットには乗り続けるといえども、もうお年なので太平洋横断はされないのかと勝手に想像していたら現在の彼のニュースが飛び込んできた。何と今年の3月からサンフランシスコから西宮市に向けて再び単独無寄港横断に挑んでおられるということだ。成功すれば世界最高齢での達成になる。到着は6月の予定ということだ。船は初代のマーメイド号と同じサイズの5・83メートル。無事のご帰還をお祈りしたい。

初心に戻る

今回、サイトの読者様から素晴らしいお言葉を教えていただいたことにより、堀江謙一さんの事を調べる機会があったことを感謝している。

そして、いかに自分がネットで受ける低レベルな攻撃で弱音を吐いていることかと思い知らされた。

堀江さんも色々な人に

「なんでそんな苦労をして楽しいんだ?」

とか

「意味のないことをしているな」

などと

からかわれてきたという。

しかし、

自分がやりたいからやる

それで良いのだと思う。

これからも何を言っても攻撃してくるアンチの目なんかは気にせずに、私の声を聞きたいと応援して下さる方のために、自分の心のアンテナに引っかかったものを書いていきたいと思った所存だ。

いつも読んでくださり本当にありがとうございます。

最後に大好きな堀江さんの言葉をご紹介。

嵐が収まると太陽が姿を見せ、水平線へと沈んで行った。その夕日が美しくみえたのは、その嵐をくぐり抜けたからこそだったと思う。

日本は今、大嵐の中に突入しようとしている。覚悟と希望を持って頑張ろう💪

コメント

  1. 「反日だけは勘弁してほしい。。」
    本当にその通りだと思います。

    今のリベラルで愛国派はいるのでしょうか?
    リベラル=反日となってるように思えます。
    反日派がリベラルを語ってるからかもしれません。

    自衛隊が真に我が国を守るための機関となるよう国民一人一人が感謝をするべきです。
    災害時や困ったときだけ頼り、演習や道路通過を批判するなどあってはならないことだと思います。

    堀江さんの改めての紹介、ありがとうございました。
    最近、ヴァンデ・グローブで白石康次郎さんが完走されましたがメインセールを修理してのあの順位は立派なものと思います。堀江さんや白石さんの後を継ぐ方が出てこられることを祈っております。

    • 読んで頂きありがとうございます。この様な素晴らしい日本人がいるということを沢山の方に知っていただきたいと思い書かせていただいたので、嬉しいです。わたしも「反日だけは勘弁してほしい」という言葉が胸に刺さりました。

  2. お初です。堀江謙一さんの事は以前から存じておりました。著書「太平洋ひとりぼっち」も拝読
    しております。今回貴記事で、同氏の高い見識に改めて深い感銘を受けました。謹んでシェアと
    リブログをさせて頂きたく、お届出の次第であります。

    • ご連絡ありがとうございます。堀江さんの熱い心が沢山の方に伝わりますように、、

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