日本人は海外に行った時に生活習慣の違いがあれば、その土地のものに合わせる努力を極力しようとする。
という道徳観が生まれながらに身についているからだろう。
特に基礎知識があまりない馴染みのない土地に行くというなら、ガイドブックなどをよく読んで事前に文化の違いや歴史をある程度、勉強して行こうとする。
さて、昨今うなぎ登りに急増している日本にやってくる外国人は同じように日本の独特の文化をしっかり勉強してから来てくれているのだろうかと考えてしまう機会が多い。
例えば、、、
という文化は世界ではことさら珍しい。(コロナの影響で靴を脱ぐアメリカ人が増えたらしいがそれでもまだまだ日本とは比べものにならない)
家庭だけでない。
お寺などで脱いだ自分の靴をきちんとビニール袋に入れて規定のスリッパを履くという慣習もとても奇異に映るだろう。
スリッパに関して言えば、お風呂とトイレが完全に独立しているバスルームや和食レストランや居酒屋などで多く見られるトイレ専用スリッパもとても珍しい。
日本料理を食べようと思えばお箸が出て来るし、スープの飲み方やごはんの食べ方も色々と決まりがある。
しかし、我々はそれらを全て日本人のようにきっちりしてもらおうという高い期待は外国人にまずしない。
できなくても別に気分を害すわけでもなく教えてあげようと思う人が殆どだろう。
そのような文化の違いを吸収して馴染もうと努力する外国人には、日本人はとても丁寧に忍耐強く教えられる民族だ。
しかし、その様な比較的、忍耐強く優しい民族をイライラさせている外国人が昨今、大量になだれ込んでいる。
例えば、トイレだ。
日本の公共トイレは世界一綺麗と評判が高いが、それが最近は崩れつつある。
さっと入った公衆トイレの余りの汚さにぎょっとした経験がある人も最近は増えてきているのではないだろうか。
あの瞬間の不快感は言葉では表しにくい。
特にそれらのトイレを綺麗に掃除して下さる清掃員の苦労も絶えない。
大量に使用される大型モールやデパートのトイレの清掃員は特に頻繁に清掃しないと普通に日本人が使用できる状態に保てなくて大変だという話を聞いた。
世界広しなので、生活習慣はその土地それぞれにあり、それはそれで良い。
そして日本人は外国に行けばその国に合わせる努力をする。
滞在先のホテルに日本のような湯船がないからとクレームをつける日本人は皆無だ。
レストランで箸が出てこないと怒ることもない。
だから、同じ様に日本に来る外国人にも日本文化に合わせる努力をある程度、期待する事は当たり前だし、それを外国人排斥として扱うのはお角違いだと思う。
日本に来た外国人はとにかく多くの日本人を不快にさせないように努めるべきだ。お客様だとふんぞり返っているのはおかしい。
昨今は日本人の積もり積もってきた不満さえも全て外国人差別だヘイトだと一括りにされて日本人だけが外から来た人に合わせることを強要する社会が出来上がってきているように見えないだろうか。
今までそう外国人との文化の違いに触れていなかった日本人も、理不尽な客の態度に眉をひそめる人が増えているが、そうとは言え、少しの我慢で観光客はいずれは帰っていく。
しかし、、
移民となれば話は全く違ってくる
移民は帰らない。
日本に居座り続け、やがて彼らのやり方に日本人を合わせようとしてくる。
帰化して日本人になれば、選挙権も被選挙権も与えられてしまう。
先祖代々、日本に住み続けてきた日本人と権利が同じになる。
しかし、それらの外国人が帰化する場合は日本に忠誠を誓うということを期待できない。
特に昨今の激増しているチャイナ移民はチャイナ共産党の国策であり、国の乗っ取りという政策のもとに移民を推進しているのだから。
移民推進する議員や官僚は身勝手なもので、実際に被害を受ける立場にいない。
いや、被害どころではなく、キックバックを貰って利益を得ていると言った方が良いだろうか。
移民賛成派はこのように実際に自分の利益のために動いている政治家たちだけではないかもしれない。単純に「地球市民」的な理想だけを思い描いて、危機意識がないお花畑の人も混じっているだろう。
しかし、大量に入ってくる移民は、その政治家達が普段、付き合っているような文化レベルの人達ではないのだ。
文化、生活レベルがとてつもなく低い人達が意図的に送り込まれている。
たくさんの人が行きかう道路の真ん中でお尻を出して用を足すことすらも恥ずかしいと思わない人達。清潔さや恥の基準が日本人とのそれとはあまりにけた違いの人達が入ってきているのだ。
それを気が付かせるために、例えば、彼らの家の周辺にそのような種類の迷惑な外国人を大量に住まわせたらどうだろう?
実際に彼らやその奥様方が被害を被るようになれば、自分が如何に恐ろしい計画に加担しているのか気付き、改心するのでは?とふと思ったりした。
結局、彼らは移民政策による利権で美味しい汁のみを吸っており、被害を身近に被っていない。
被害を被るはいつも我々、一般市民なのだ。