世界の宗教戦争と日本:#1

日本と世界の違い:宗教や文化
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宗教戦争を阻止した日本人

日本は大きな宗教戦争がなく、平和な国家が続いてきたとても幸運な国だ。しかしその幸運さは実際そういう経験がなかった我々には想像しにくい。

とはいえ、宗教戦争がまったく無かったというわけではない。

我々のご先祖はその惨事が起こらないように必死に阻止してくれていたと言った方が良いだろう。

全世界がそうであったような宗教戦争によって国が壊滅されるということを徹底的に免れようとしたのが日本だったのだ。

その日本の宗教戦争阻止の歴史の話をする前にまず、ヨーロッパや中東ではどれ程の凄まじい宗教戦争があったのかを知った方が良いだろう。

ユダヤ対ローマ:マサダの戦い

ヨーロッパや中東では宗教の名の下でおびただしい数の人が殺されてきた。

まずは、ローマとマサダの戦いだ。

ユダヤ人は圧倒的に少数民族であったが、強烈な宗教観がある。彼らの民族の歴史は迫害の歴史と言っても良いくらいに大変なものだった。

しかし迫害を受けるとダメージを受けるどころか「これは神が我々に与えた試練だ!」といって更に屈強になった。

ユダヤ教は最後には自分達信者が必ず勝って全ての頂点に立つというゴールが決まっている宗教なのでどんな困難でもそれを信じて乗り越えてきた。

さて、ローマが古代ユダヤ帝国を侵略したことから始まった、マサダの戦いは、400mくらいの岩山で終わりを迎えた。

今では観光名所にもなっているその岩山は天然の要塞のような形になっている。そこに約1000人のユダヤ人が立てこもった。その要塞の周りをなんと一万人のローマ兵が取り囲んだのだ。

古代の戦争の鉄則はこうだ。

男、老人は殺され、女や子供は奴隷にされる

いよいよ負けが見えた頃、立てこもった1000人は敵に殺されるくらいならと、自殺をすることを決めた。

その方法も悲惨だ。まず、男は自分の妻子を殺す。抱きしめてキスをして涙を飲んで殺した。大人の男ばかりになった後、くじ引きをしていき、当たった者が仲間を殺し、最後の一人が自殺するという凄惨なことになった。

ローマ軍がいよいよ岩山の城門を開くとそこは死体の山、山、山。 

十字軍

これは聖なる戦争と呼ばれたが、それを中世によみがえらせたのが十字軍だった。

十字軍を集めたローマ教皇(ウルバヌス2世)がフランスの貴族に呼びかけた。その時の教皇の演説が凄まじい。

「東方の地で神に呪われたおぞましき異教徒のトルコ人が聖地エルサレムを強奪したのを諸君は知っているか。彼らは神を侮辱し、教会を焼き尽くし、人々を蹂躙し、男を殺し、女を凌辱し、悪の限りを尽くしている。これを見過ごしてよいのか。東方の兄弟たちの苦難を我らが見過ごすことは神の意思にかなうことだろうか。いやいなだ。今こそたちあがらなければならない。等しく神のご加護を受ける兄弟同士は闘うな。ヨーロッパでは即座に休戦し、共に手をたずさえて、かの地の血塗られた異教徒どもから聖地を取り戻すべく闘わなければならない。神の御心は我々とあるから立ち上がれ神の勇者たちよ。」

この演説で燃え上がった十字軍の兵士達は聖地エルサレムで大殺戮をはじめる。神が望まれていると鼓舞された兵士達はこれもまた「聖戦」だと解釈した。

エルサレム神殿では、一万人もの人々が首を切られた。女、子供も容赦されなかった。これが第一回目の十字軍の遠征だ。

更に、ローマ教皇はヨーロッパ各地でも、カトリックを否定する人達に刃を向け始めた。

カタリ派への弾圧

その対象になったのがカタリ派の宗派の人達だった。

カタリ派とはフランスの南側に広がっていた宗派で、肉食を禁じ、性欲を禁じる敬虔なキリスト教信者だった。

カタリ派は、カトリックを否定していた。彼らの言い分はこうだ。

  • 旧訳のヤハウェと新訳のイエスは別人であるから、神が二人いることになる。
  • 食欲や性欲がある汚らわしい人間の肉体は腐っている。そんな汚らわしい存在を作ったのは神であるはずがなく、悪魔が作ったはずだ。神の清らかな精神が悪魔の肉体に閉じ込められているのが人間。
  • 旧約の創成期にあるように、ヤハウェが泥をこねて作ったのが肉体(アダム)なのだから、ヤハウェは悪魔である。
  • カトリックはヤハウェとイエスは一体と教える(三位一体)ので、彼らのやっているのは悪魔崇拝になる。ローマ教皇がヤハウェの代理人ということは悪魔の代理人ということになる。

これにローマ教皇が憤慨し、十字軍を送ったのだ。

しかし第一回目のエルサレム遠征と異なるのは、ヨーロッパの白人で自分達と見た目がさほど変わらないため、どの人が異端なのかが分かりにくい所。

そこでローマ教皇が言ったことも凄い。

「異端者かカトリック教徒か分からないときは全部殺せ。まちがってカトリック教徒を殺しても神が魂を天に導くし、異端なら地獄にいくから心配するな。」

最後には残党狩りが行われ、宗教裁判が強行された。

捕まったカタリ派の人々は「自白しろ、わたしは悪魔を崇拝しましたと言え。」と脅され、言わなかったら拷問で殺された。例え、そこで自白しても、結局は火あぶりで死刑というものだった。これで数十万人いたカタリ派が撲滅された。

古代・中世的な宗教戦争を近代になってもやっていたスペイン

こんな古代・中世的な宗教戦争を、近代になってもやったのがスペインだ。

中世は完全にイスラム教が支配しており、十字軍は失敗に終わってヨーロッパでは宗教改革という方向にになっていくが、スペインは勝ってしまう。コロンブスがアメリカに行って、アメリカで同じことをしだした。結局、アメリカ全土に分布していたネイティブアメリカンは19世紀半ばにはほぼ殲滅されてしまった。

スペインは更にアステカ、インカの征服に至って、

キリスト教徒でないのは人間でない

といって原住民を虐殺し尽くした。

この宗教の名の下で全世界で行われる民族殲滅を当時の日本が知らなかったわけでは毛頭ない。

このような事が日本にも仕掛けられそうになったのを必死で守ったのが我々のご先祖だ。

次はその話(世界の宗教戦争と日本:#2)をしていきたい。

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