戸籍で差別されるから戸籍廃止するべき!
と橋下徹前大阪市長が言ったことが物議をかもした。
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部落差別があるという言い訳
これを彼が言い出したのは、大阪に部落差別があるからだった。彼自身も部落出身であることは公言している。
確かに大阪の公立の学校は時間を割いて、部落教育をしている。部落差別はいかに悪いことかを子供達に熱心に教えている所が多い。
しかし、普通に学校に行っていたら子供は戸籍なんて見ないから分からないし、例え分かったとしても、子供は訳が分からず気にしない子が多い。
だから部落差別教育というのもわたしは必要がないと思っている。
昨今のLGBTやBLM関係と同じで、逆に国民を分断する方向にもっていかれる可能性が高いからだ。
出自に対する差別
しかしこの部落に対して、全く障害がないかと言えばそうとは言えなくて、彼が言い出したことは実は空論ではない面もある。
私は婚姻の時に障害になるということを、友人という間近なケースで見た。
私の親友は何百年と代々続いてきた家柄のお嬢様だ。
その彼女は実家を出て地方の大学に通っていたが、その大学で出会った彼と大学時代も卒業後も何年もお付き合いしていた。
仲が睦まじく、このまま結婚するのだろうと周りは思っていたが、その彼と突然、別れたという。
驚いて事情を聞くと、彼の出自が理由で、両親の猛烈な反対の為だった。
その時に、私はとても悲しい表情で話す彼女を見て、なんて可哀想だとは思った。
しかし、同時にその子の両親を責める資格は部外者の私にはないとも思い、親の反対を押し切って結婚したらいいなんてことは言えなかった。
彼女の家のように、血統をとても大事にする家がある事もまた事実で、それが差別的だとは私は思わない。
それは個人の家庭の事情であり、その一部の人のために日本が発明した優秀な戸籍制度を廃止するというのはおかしいし、反対だ。
また、家柄を気にする家は戸籍がなくとも、興信所などを利用して、身上調査をすることは可能であるからそれだけが理由なら戸籍廃止は全く役に立たないだろう。
一昔前ならまだしも、今の世の中は離婚歴があっても社会の風当たりは強くないし、どの地区生まれがタブーなどの知識も他県に移動すれば誰も分からなくない。だから、戸籍廃止は現在では全く意味のない政策だろう。
戸籍廃止の裏にある意図
しかし、この部落差別解消のための戸籍廃止というのは、彼の詭弁に過ぎず、実はここには全く違う意図が組み込まれていたのではないだろうか。
最近の彼の発言を聞いているとそのように強く思えてきた人も増えているようだ。
戸籍廃止は明らかに日本戸籍の取得手段を容易にするために仕組まれたものだと考える人もいるし、日本の安全を脅かすリスクが大きいと危惧する人もいる。
戸籍は何代にもわたる血縁の流れをはっきり明記できるという日本が発明した優秀な制度だ。
他の国にはこのようなものはない。
例えば、アメリカでは戸籍を保管してくれる日本でいうところの市役所、区役所のような場所がない。出生証明書というのがあるが、そこには両親の情報は記載されても、その以上の記載はない。
だから、差別があるから戸籍制度を廃止するというのは反対だ。
日本人の戸籍が多国籍の外国人に乗っ取られ、日本国民が排除されていくことがないように政府・政治家を注視して、選挙では投票するような人が増えて欲しいと願っている。