日本で「人権、人権」とうるさく大声で叫ぶ人達は決まって「自分達の利権」を守るのに必死なだけだと気付いて久しい。
ああいう人権派と自称する人達は、反対側にいる人の人権なんて虫けらみたいに思っているような言動だ。
人権弁護士などと名乗っている人は本当に人権を蹂躙されている人をちっとも守っていない。
自分と反対の立場に立つ人には恐喝、脅し、おかまいなしなことが杉田水脈議員への殺害予告の事件でも浮彫になった。
あの時に普段、「人権!人権!」と叫んでいる人がどれだけ狂暴になったかを目の当たりにして目覚めた人も多くいるかもしれない。
日本を一歩出れば、考えられないくらい恐ろしい程、人権蹂躙されている人がどれだけいることか。
日本のように規律正しい法治国家の下で言論の自由が守られ、本当に好き勝手に言ったり、行動できる国で「人権」を叫ぶ前に、世界のそんな人達を守る為に国連に行ったらどうなのか。
しかし、こういう人達はそんな事で仕事をしない。
なぜなら、、、
金にならないからだ。
例えば、ヘイト(または民族差別)として、お隣の大陸で起こっている恐ろしいジェノサイドを糾弾するために国連に行ったところで、誰からお金をもらえるというのか。人権弁護士など名ばかりで蓋を開けてみたらその程度だ。
日本には被害者を装った被害者ビジネスというものが確立されている。
彼らが認定するいわゆる「被害者」や「弱者」や「少数派」達を擁護するとする建前で、日本政府から予算として金をむしり取れることができるのだ。
例えば、多文化共生社会を目指すという耳障りの良い目標を掲げ、外国人として区別された人を被害者に祭り上げ訴える。
外国人としてこんなに安全で清潔で素晴らしい日本に住まわせてもらっておきながら、外国人として「区別」されたらヘイトなどと本当に虫が良すぎる。
自分達で重箱の隅をつつくように事例を探しまくり、ヘイトにこじつけて逆に訴える。それが彼らがやっている被害者ビジネスだ。
この人達には他国で起こっている本当のヘイトというものを勉強し直してきて欲しい。
人権弁護士はいつも反国家、反日の案件に群がる。
金になるからだ。
最近で顕著だったのは、朝日新聞に掲載された慰安婦記事の捏造を暴かれた元朝日の記者の植村隆氏がジャーナリストの櫻井良子氏を名誉棄損で北海道で訴え、裁判所に棄却された件だった。
あの件で植村氏側にどれだけの弁護士がついたかご存じだろうか。
櫻井氏には一人弁護人がついていたことに対して、植村氏にはなんと114名もの弁護士が名を連ねていた。異常な数だ。
最近の左翼リベラルと称する人達の言動を見ていると、もう議論とか論理とか理屈や常識というものは全てかなぐり捨てている様な印象がある。
とりあえず自分達の利権や既得権益を脅かす人や意見に対しては、全部「差別だー、人権蹂躙だー、独裁だー」とまとめて「ヘイト」で一括りにしているように見える。
あれでは建設的な議論になり得ない。
レベルの低い巷の議論でなく、日本国の行く末を議論する高等弁論を期待する国会の場でも同じような事が起こっているのだから見るに堪えない。
反対の意見や立場であっても、礼儀は必要という常識さえあの人達には再度教えなければならないのか。
言論の権利はお互いに認め合わないと公平でない。
一方的に保守側の表現の自由を奪い、自分達の暴言だけ許せと主張するなどそんな道理が通るわけない。
誰かの意見に100%同意しなくてもいいのだ。
同じ物を見ても人それぞれが違う考え方や感じ方を持つのは当たり前の事で、意見が対立しても本来は問題はない。
しかし、対立した時の対処の仕方が千差万別では困る。
言論封殺は一番卑怯な手だ。次に卑怯なのはレッテル貼りのような人格否定だ。
ツイッター上でも勢いの良い左翼と議論をしようとするものなら、いつもこれをして来るのに気付いた人も多いと思う。
そして彼らは論破されたら、、、
ブロックしてそそくさと逃げてゆく。
新字体・現代仮名遣い版 世紀の遺書 愛しき人へ/ハ-ト出版/巣鴨遺書編纂会