ある本との奇跡的な出会い

アメリカ政治
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運命を感じた瞬間

久しぶりに、ものすごく「読みたい!」と思える本に出会った。

所有する前に図書館で借りてまず少し読んでみようと思って探した。

この著書は古いこともあり、なかなか見つからなかったが、やっと手に入った。

高揚した気持ちで、見るからに古い本の表紙をそっと丁寧に開いてみると。。

驚いた。

その本の著者の妻であった人の直筆で書かれた寄贈のメッセージとサインが入っていたのだ。

つまり、図書館が本屋から買って置いたものでなく(ちなみにこのような初版はもうとっくに本屋には並んでいない)、妻が直筆のメッセージを添えて、その図書館に直接、寄贈した本が私の手元に舞い降りたというわけだ。

これは読むべくして出会った本だったのだと思った。

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今はあらたに新装されたものが出ている。(残念なことに彼の本は日本語で訳されたものがない。)

この『民主主義とリーダーシップ』という本は1924年に出版されたので、実に100年近く経っているのだが、その内容は現代の様相を実に的確に予想している。

この本はバビットの著作の中では唯一の政治書で、

『ヒューマニズムの原則は市民の社会秩序である。』

と重要な指摘をしている。

バビットは、抑制のきかない多数派主義に対して説得力をもって批判を行い、基準を持ったリーダーをいかにして発見するかという大問題に取り組んだ。そういう意味で、彼はアメリカン人道主義、あるいは新人道主義と呼ばれる知的運動の指導者だった。

とはいえ、彼は政治思想家ではなく、ハーバード大学ではフランス文学を教えていた。彼の文学だけにとどまらない哲学的で知性に溢れた面白い講義はアジア人の生徒(特に中国人、日本人)にも人気だったという。彼を慕った生徒の中には後に有名人になるT.S エリオットがいた。

しかし、その生徒からの人気とは反対に、大学のエリート派からは煙たがられる存在でもあった。なぜなら彼は生前、大学のエリート派マジョリティの流れとは真っ向から戦っていた教育者だったからだ。実際、彼が戦っていた相手の長はT.Sエリオットとは親戚関係にあった当時のハーバード大学の学長であったエリオット学長だった。

彼はアメリカ教育の質の低下と、人々の道徳意識の低下、さらにはそこから民主主義の堕落に堕ちいっていく未来を予想し、危惧していた。 (著者は1933年に亡くなっているので、死後90年経っている。)

そして、彼が予想した未来にアメリカは突き進んでいる様に見えるのは私だけでないはずだ。

そして、そんなアメリカに追随する日本も同じ様な傾向にあることは言うまでもない。

今回はアメリカを危惧しながらも、病に倒れて若くしてこの世を去った偉大な教育者アービング・バビットが書いた著書「民主主義とリーダーシップ」の内容について触れてみたい。

民主主義とリーダーシップ

『民主主義とリーダーシップ』は、今世紀最大の政治哲学の一つであると評価されている。なぜなら、歴史哲学、文明哲学、人間の本質に関する深い考察、人間の信仰心理に関する鋭い洞察が組み合わされおり、他に類のない先見性を持って書かれているからだ。

バビットにとって、人間の最も高貴な特性は “自粛の意志 “であるという。エドモンド・バークのように、社会的存在には欲望や衝動を抑制することが必要であり、真の自由は自制心の上に成り立つと認識していた。

しかし、ルネサンス以降、西洋では欲望への溺れと権威からの解放欲が進み、ルソーは人間の自然な善性と欲望への屈服を謳った。

このルソーの拡張的なエゴイズムが大躍進したのは、人間の主な欲求が「自分自身を大切に思うこと」であるとバビットは考えた。自分を基準で律することを望まず、「支配的な欲望の線に沿って自由に拡張する」ことを好む人間は、ルソーの見解をそれが真実だからではなく、「自分にとって都合が良いから」受け入れたという解釈だ。

バビットは、その結果、極端にふれた自己主張無法の増大政治的野心家の出現、美徳の指標としての自制心に代わる「思いやり」の感情、権力に貪欲で自由を抑制する社会奉仕の預言者たちの台頭を予見した。

哲学的唯物論、経済的決定論、政治への偏愛など、蔓延する誤りを回避しながら、バビットは我々の苦悩の真の原因である人間の無限の欲望と道徳的怠惰を指摘する。だからこそ、バビットの議論は無類の説明力を発揮するのだと思う。

そして、彼の分析は、日々真実味を帯びていると私も感じる。

バビットから見れば、私たちは日々、文明的な人類として退廃していっているらしい。

バビットはアメリカの大学教育についても鋭く批判していた。

彼はドイツ的な博士号の取り方を容赦なく批判し、アメリカの大学が豪華に飾っただけの表面的な学問の中心地に堕落することや、博士号という誤った専門性に対抗しようと闘っていた。

彼の様な学者は著名な大学でも滅多に見られず、誰かに買われることのない気品に満ちた学者であり、オリガルヒもマフィアも恐れない紳士の姿だ。

バビットは主流派から批判の矢を浴び続けていたが、その人達の多くは彼の本をしっかり読んで、彼の意図することを理解しないまま、流れに乗って批判していただけの人も多かった。

例えば、ハロルド・ラスキーは、バビットは金持ちを粗野だから嫌い、貧乏人は愚かで無秩序だから嫌いだと言ったが、バビットは抽象的に階級を愛したり憎んだりしている表現をしたことはない。そういう批判はマルクス主義者に任せていた。

『民主主義とリーダーシップ』のテーマは単純で、名誉あるリーダーなくして民主主義は存在し得ないというものだ。


しかし、純粋な民主主義に無差別に媚びる者たちは、高いリーダーシップという概念そのものを否定することに全力を挙げている。

もし彼らの活動が成功すれば、我々は民主化への勝利の行進ではなく、汚れたオリガルヒの群れのなすがままになるであろう。

これは今のアメリカの姿じゃないだろうか。

不正選挙で大統領の座を奪ったオルガルヒ達に祭り上げられたバイデンの様な老人が、仕事もろくにせず、誰かが書いたものを読むだけ(読むこともままならない)の人がアメリカ合衆国の最高権力者として君臨している。

今のアメリカは、民主化の勝利した姿でなく、オルガルヒに敗北した姿だ。

解決法はあるのだろうか。

民主主義の本質と必要性を見極めるためには、バビットは政治学から哲学の領域へ、哲学の領域から宗教の領域へと進む必要があることを発見した。

とはいえ、バビット自身は、この問題の高次の部分を満足に解決したわけではなく、キリスト教徒であることを公言したこともない。

しかし、政治思想を通常の功利主義的、経験主義的な表面からははるかに超えたところで考えていた。

「私自身は、自由と意志の問題について、この必要な真理を恵みの観点からではなく仕事の観点から、そして、宗教的なレベルではなく、人間主義的なレベルで考えようとしてきた。私は高次の意志を肯定する他の方法の有効性を否定するほど傲慢ではないし、想像力によって解釈されてきた伝統的な形式を時代遅れと切り捨てるつもりもない。」

と言っている。

「真のリベラリズムを偽りのリベラリズムから守るためには、社会の第一原理を徹底的に見直す必要がある。」とバビットは考えた。

H・スチュアート・ヒューズは、保守主義はイデオロギーの否定だと言ったが、真の保守主義とは理念の否定ではない。バビットは抽象と原則を明確に区別しようとしていたからだ。

この『民主主義とリーダーシップ』の新装版が出たことで、「保守主義」を誇大主義や「アメリカの生活水準」と混同している人々が、再び読む機会を得たことは良いことだ。

混沌とした世の中に必要なもの

今、世界は多様性という名の下に、歴史史上、類をみない混沌としたものにされつつある。

体が男仕様でも、自分が女だと主張すれば女になれる社会。それをおかしいという人は「差別主義者」のレッテルを貼られ口封じをされる社会。

道徳規範が薄れ、人に迷惑をかけることも何とも思わない自己基準で動く人達の群れ。

自分の知名度の向上や利益を優先し、自分の行いが道徳的に正しいかどうかは関係ないという姿勢で炎上行動するインフルエンサーとそれを面白そうに持ち上げ焚き付ける群れ。

信仰はカルトとされ、隅に追いやられる社会。(日本はまだ文化の中に根付いた高い道徳意識や高次元への存在感が民衆の中に残っているのが救いだ。)

高次元の存在をどんどん意識しなくなり、見えるものだけ、自分に得があるものだけを価値があるものとして、それを指標をして生きていく人間の行き着く先はどんな未来なのだろうか。

こんなことを日々考えている私も、100年前のバビットと同様、社会の中では少数派なのだろうが、誰も考えていないよりはずっと良いだろう。

【今回は『ある本との奇跡的な出会い』について語っていきました。
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