もくじ
満州事変
満州事変という歴史は日本で義務教育を受けた人なら必ず学習する。
どんな事件か覚えておられるだろうか。
満州事変:1931年9月18日、奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道が爆破された。日本の関東軍は、それを中国国民軍に属する張学良軍の犯行であると断定し、鉄道防衛の目的と称して反撃し、軍事行動を拡大した。この柳条湖事件から開始された、宣戦布告なしの日中両軍の軍事衝突を満州事変という。その真相は戦争中は伏せられていたが、戦後になって関東軍の謀略であることが明らかになった。
ここから日中戦争の拡大に繋がったのだと陸軍のチャイナでの戦線拡大に対して批判材料にされる事件だ。
この事件の首謀者と言われているのが今回の人物
石原莞爾(いしわらかんじ)だ。
彼は幹部勢は薩長出身が多い軍の中では山形県出身という珍しい人物であるだけでなく、とにかく異端児として際立った存在だった。
幼少期・幼年学校・士官学校時代
幼少の頃からその天才ぶりと奇抜な行動がエピソードとして残っている。
明治28年(1895年)、子守のため姉二人が石原を学校に連れて行った。校長が石原に試験をやらせてみると1年生では1番の成績であったため、1年間自宅で準備学習していたという名目で同年に2年生に編入することとなった。
仙台幼年学校では総員51人中最高の成績であり、代数学・植物学・ドイツ語が特に高得点であり(石原はのちにドイツ留学を命じられて行くことになる)、3年間常に第二位を大きく引き離して一番の成績を維持した。
士官学校時代の一番有名なエピソードの中にこういうものがある。
当時、将校には写生の技能が必要なのでそのような授業があった。
同期生一同がこれに困っていると、石原は自分の男根をトイレで写生し、
「便所ニテ毎週ノ題材ニ苦シミ我ガ宝ヲ写生ス」
と記して提出し、物議を醸した。
この一件で石原の退学まで検討されたが、この時は校長が石原の才能を惜しんで身柄を一時預かるということで一応解決したという何とも面白いエピソードが残っている。彼の人柄と突飛な才能がよく分かる。
莞爾の思想
石原が満州事変を引き起こした背景には、将来、日米による「世界最終戦争」の勃発という独自の考え方があったからだ。
そして日本が勝った暁には、日本を頂点とした世界統一が起こり、世界が安定するという。
思想の要旨を簡潔に箇条書きすると、、
【世界最終戦論より】
最終戦争では航空機や大量破壊兵器によって殲滅戦略が実施され極めて短期間のうちに戦争は終結することになる。
最終戦争を戦う国としてはブロック化したいくつかの勢力を列挙できる。世界はヨーロッパ、ソビエト連邦、東亜、南北アメリカの連合国家へと発展し、日本の天皇を盟主とする東亜と、ヒトラーを中心としたヨーロッパ対アメリカを中心とした南北アメリカと、中立のようだが南北アメリカ寄りのソ連の対立となる。
しかし、ヨーロッパは大国が密集しているため、うまくまとまることができない。
ソビエト連邦は全体主義でいかにも強そうに見えるが、ヨシフ・スターリンの死後は内部崩壊する。
そうなると、東亜連盟とアメリカ合衆国の決戦となる。その決勝戦(最終戦争)に勝った国を中心に世界はまとまることになる。
これは東洋の王道と西洋の覇道のどちらが世界統一において原理となるのかを決定する戦争となる。
最終戦争勃発の条件として石原は、1。東亜諸民族の団結、即ち東亜連盟の結成。2。米国が完全に西洋の中心たる位置を占むること。3。決戦兵器が飛躍的に発達し、特に飛行機は無着陸にて容易に世界を一周し得ることの三つを挙げている。
あの段階でそこまで先を見越せており、日本を頂点とした世界の安定という構想を抱いていたのはやはりすごいと思う。
満州事変を起こした策略者ということで、戦争大好きな侵略思想の持ち主のようにチャイナからも批判材料にされる莞爾だが、そのいずれ起こるだろう日米の最終戦争に備えるため、日中戦争では断固、戦線拡大に反対していたのは彼だったのだ。
そのことで、当時の陸軍大臣であった東条英機と対立し、陸軍を罷免されるに至った。
この様な思想を持って行動していた石原莞爾でも、外交の知識の不足やインテリジェンスの知識は欠けていたと揶揄されるのだから、あの当時(昭和7年以降)のインテリジェンスのレベルの低さは相当のものなのだったのだろう。(比較として明治時代はインテリジェンスの高さはかなり高かったのだ。今の日本を見ておれば信じられないかもしれないが、、、)
*ここでのインテリジェンスというのは諜報という意味だ。
肉声で聞く莞爾の思想
さて、彼の思想を聞くことができる珍しい映像があるのでご紹介したい。
山形で療養中の石原莞爾の思想を肉声で聞くことができるとても貴重な映像だ。
今、動画を観られない方のために文字起こしも載せておく。
(まず体調の具合を聞く挨拶がある、、その後、インタビューに入る)
質問1:第二次大戦後欧州でも東亜でも戦争以上の混乱ですがいったい世界はどうなるもんでしょう?
莞爾:混乱はしてるようですがね、しかし戦争の後には非常に戦争を好むんですね。それは第一次欧州戦争後と同じであります。 しかし第二次欧州戦争後の非常な違いは第一次欧州戦争後と違って世界がなるべく一つになりたいって気持ちであります。
質問2;世界が一つになるとしますとその以前に必ず(考えておく?)必要の世界大戦というものが起こるものですがこの一つ御見通しをお聞かせください。
莞爾:そこな、それだ! 元来ならばそれで戦争を理性が、人間の理性が勝てばですな、戦争なしに世界が一つになり得ければならないのですが。どうですか今の米ソの関係?非常に困難しておりますですね。 んで結局両国の首脳者は戦争を避けるためにあらゆる努力をやってるらしいですが、結局悪くすれば戦争がやってくるって可能性は非常にあります。
しかし両国だけじゃなく世界の人々がですな、それを全部一緒になって〇〇してやる義務を持つと私は思っています。 それでこのことに対してですな我々はどういう層もですね、どうですか。戦争に負けたからって今日本人は非常な卑屈になってますけども我々は絶対に許さないです。 今までの悪かったことは悪かった。 我々この戦争で根本的に懺悔して我々は生き返るんですね。そうなってくると我々は断じてですな、この世界を統一するために我々はあらゆる民族の内の最大の功績をあげなくちゃならんと、こう思うんです。
質問3:よくわかりましたが、具体的に日本人としてどうしたらよいですか?
莞爾:私は西洋人の文明、特にアングロサクソンの文明は非常に尊敬しています。しかしながらあんな高い文明を持っていながら長年の競争中心の文明のためにですな、えー、どうもそこに私どもの賛成できないところがあります。
例えて言えば今度アメリカがあれだけ道義的、誠意的に日本にする。商売人、船問屋の連中が日本の船を徹底的に占有する、またランカジアは自分らの○○を保護するために日本の貿易を成長させる。 こういう利害を中心にして考えてる間は結局戦争の可能性は非常にあると思います。
そこに来ると今次の日本は戦争を完全に放棄しちゃったんです。放棄したんです。我々は断じてこれをですな、もう利害を抜きにして、もう立正の大精神によって私どもは、国策を律していかなきゃならんと思います。
アイケルバーガー氏がですね、(途中不明)アメリカに同盟なんて言うけどそんなこと絶対我々は許しません。我々は憲法9条がある。我々は日本が蹂躙されてもかまわないから我々は絶対戦争放棄の精神で(以降不明)
ちょうど聖日蓮がですな龍ノ口に向かっていくあの態度、キリストが十字架をもって刑場に行くときのその態度を我々は国家としてしとる。
ただしですね、そういう観念的の問題だけではだめだ。
私どもは、うー、我々は○○けど、戦争を必要としない文明ですから。それには8000万という人間がこの狭い国に押し込められたことが非常に良いことだ。われわれ8000万は立派にここで食ってこうじゃないか、食ってく!
それがためには在来の西洋の文明のような方式ではいけない。我々はちょうどその逆に都市解体・農工一体・簡素生活、この方向に行かなきゃならないと…。
言い換えて言えば我々の革命っていうものは完全なる我々の生活態度の革命まで行かなきゃならないとこう思います。言い換えてみれば我々の革命は我々の生活態度の革命であります。そこまで徹底して初めてですな、我々が世界に最も優秀な民族たる誇りを全うすることができると思います。
東京裁判での莞爾の男前ぶり
石原は連合軍の茶番裁判であった極東軍事裁判(東京裁判)で、連合軍側の対応に恐れてはっきりと物申せない人たちの中で、日本側の意見を少なからず述べた人物の一人だ。
石原は東京裁判に出廷を命じられたが、
『私は病気だ。話が聞きたいのなら、おまえたちがこい』
(その当時、彼は故郷の山形県に戻り、療養を続けていた)
と言って放ち、なんと東京裁判を東北地方まで出張させたという。
そして彼はそこで堂々と出廷した。
以下は分かりやすく様子が伝わるように裁判長と莞爾との会話形式で様子を綴って行く。
裁判でも堂々と発言
裁判が始まる前、裁判長が石原莞爾に質問した。
裁判長『証人石原は、何か聞きたいことはあるか?』
莞爾『ある。不思議に耐えないことがある。このたびの戦争は、すべて満州事変を発端として起こった。違うか?』
裁判長『その通りだ』
莞爾『満州事変を起こしたのはこの俺だ。満州国をつくったのはこの俺だ。なぜ俺を戦争犯罪者として裁かん』
裁判長『あなたは、証人として呼ばれたのですから、そんなことは言わないでください』
なんと、、
『まだある』
莞爾が再び喋り出す
莞爾『アメリカは、えらく日本の戦争責任を古くまでさかのぼろうとしているらしい。いったい、いつまでさかのぼるつもりか』
裁判長『日本の行った侵略戦争すべてを裁きたい。できれば、日清、日露戦争まで裁きたい』
莞爾『じゃあペリーを連れてこい。俺たちは鎖国していたんだ。それを無理に開国させたのは、お前らだろ』
裁判長が動揺する。
裁判長『証人は、私の質問に対し、イエスかノーかで答えていただきたい。それでは裁判を始める』
こんな裁判はないと皆が傍聴席で悔しくて涙を飲んでいた。
しかし、裁判長が証人の氏名、そして満州事変開始時の身分を答えよと言った時、
莞爾『それはイエスかノーかで答えられない』
と言ってのけた。
すごい、、
裁判長はとうとう『好きな発言をして結構です』と許した。
裁判長『証人石原、あなたは21倍の中国軍に勝つ自信があったのですか?私にはおよそ無謀な計画に思えますが』
莞爾『君、戦争というのは数ではない、作戦だ。もしこの度の戦争、私が作戦指揮をとっていたならば、その裁判長の席に座っていたのは私で、ここに立っていたのは君だったのだよ』
裁判長や他の人たちはこれに対して何も言えない。
そもそも莞爾がこの場に立つことになった理由は、
敵対関係にあったと思われていた東条英機の戦犯を引き出し、彼を間違いなく死刑にするためだった。
莞爾は東条英機とのいざこざで昭和16年(1941年) 当時の 陸軍大臣東條英機に罷免されているからだ。
裁判長『石原さん(いつのまにか呼び方が変わ利、最後は石原将軍と呼ぶようになった)は、東条英機と思想上の対立があったようだが…』
莞爾『ない』
裁判長『そんなはずはない。東条英機と対立していたはずだ』
莞爾『ああ、対立はしていた。しかし、思想上の対立はない。私には少なからず思想というものがあるが、東条のバカには思想なんてないからね』
と言い切った莞爾に、これならいけるだろうと考えた裁判長が、『最後の質問をします』といちばん聞きたかったことを直球で聞いた。
裁判長『あなたは、この戦争でもっとも罪深い戦争犯罪者は誰と思いますか』
明らかに東条英機と答えるだろうと期待していた裁判長に、莞爾はこう答えた。
莞爾『それは、アメリカ大統領トルーマンである。罪のない人間を、原子爆弾で殺しまくり、20万人も殺して、それが正義だと言えるのか』
裁判長は、裁判記録の削除を命令して、裁判は終わった。
裁判が終了してから、法廷で傍聴していた記者が泣きながら莞爾に駆け寄って言ったという。
『将軍、うれしかったです。戦争に負けて以来、日本のかつての指揮者が、背中を曲げてオドオドしながら答弁するのを聞いていて、悲しかったんです。今日の将軍の発言を聞いて、胸がすく思いがしました』
莞爾はこの大役を無事、果たして2年後の8月15日の終戦記念日に亡くなった。
この人が罷免されずチャイナ戦線において軍事指揮することを続けておれば、日本の戦況もかなり違ったものになったのではないかという見解がいる人が多いのもうなづける様な軍人の一人だ。
日本人として心に留めておきたい人の一人だ。