天皇がエンペラーと呼ばれた歴史:なぜキングではないのか?

国内政治
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外国人に聞かれて答えに困る質問第一位!

日本人が必ずぶち当たる壁。。

それは

天皇とはなんぞや?

と質問への答え方だ。

この質問は、何度されてもうまく答えきれていない気がしていた、わたし。

つい最近、我が子に

『えっと、、、それで、天皇って何だったっけ?』

と改めて聞かれたので一生懸命説明していた時に、「きっと私と同じように困っている方々が多いかもしれないのでは?」と思ったのでこの記事を書く事にした。

まず、外国人にはエンペラーと訳されている日本の天皇はなぜそう呼ばれる様になったのかということからおさらいしたい。

質問:世界でエンペラーは何人いるの?

答え:現在、世界で「エンペラー(皇帝)」と呼ばれる人物はたった一人だけだ。

日本の天皇のみ

世界に王は存在するものの、皇帝は天皇を除いて残っていない。

そして、国際社会においては、天皇のみが「王(キング)」よりも格上とされる「エンペラー」と見なされている。

「天皇」は元々、中国大陸の「皇帝」と対等の称号として作られた造語なので「キング」ではなく、「エンペラー」であるのは自然かもしれない。

天皇がエンペラーと欧米から言われる様になったのは、『天皇が大日本帝国の元首であったことから、「エンペラー」と呼ばれたのだ』と一般的に誤解されているが、1889(明治22)年の大日本帝国憲法発布時よりもずっと以前から天皇は欧米人によって、「エンペラー」と呼ばれていた。

例えば、江戸時代に来日した有名な学者がいるが(「出島の三学者」と呼ばれた)その内の1人で、シーボルトよりも約130年前に来日したドイツ人医師のエンゲルベルト・ケンペルは1690年から2年間、日本に滞在し、帰国した後『日本誌』を書いた。

この『日本誌』の中で、

    「日本には2人の皇帝がおり、その2人とは聖職的皇帝の天皇と世俗的皇帝の将軍である」

と書いている。

つまり、天皇とともに、将軍も「皇帝」という認識だったようだ。この1693年ごろに書かれたケンペルの『日本誌』が、天皇を「皇帝」とする最初の欧米文献史料と考えられている。

ケンペルは日本の事情に精通しており、「天皇」の称号が中国皇帝に匹敵するものであるということ、さらにその歴史的な経緯をよく理解したうえで、天皇を「皇帝」と訳した。

1716年にケンペルは死去後、遺稿はイギリスの収集家に売られその価値が認められて『The History of Japan』というタイトルで英語訳で出版された。

この本は話題となり、フランス語、オランダ語にも翻訳出版され、ヨーロッパ中で大ヒット・ベストセラーとなった。

18世紀後半、ドゥニ・ディドロが『百科全書』を書いた際、日本関連の情報のほとんどを『日本誌』から参照したことが知られているほどだ。

こうして、ケンペルの『日本誌』が普及したことで、日本の天皇および将軍が「皇帝」と呼ばれることがヨーロッパで完全に定着したのだ。

こうした背景から、1853年、ペリーが黒船を率いてやって来た時も、天皇と将軍をともに「emperor(皇帝)」と呼んだ。

ペリーだけではない。

日本にやって来た欧米各国の学者や外交官たちも天皇と将軍を「皇帝」と呼び、日本には「2人の皇帝が存在する」などと記録している。

また、ケンペルは『日本誌』の中で、天皇は紀元前660年に始まり、当時の1693年まで続いていることに触れ、

  「同じ一族の114人の長男の直系子孫たちが皇帝位を継承しており、この一族は日本国の創建者である天照大神の一族とされ、人々に深く敬われている」

と説明している。ケンペルは、皇統の「万世一系」が日本で重んじられていることに言及したのだ。

宣教師たちは天皇をどのように呼んだのか?

では、戦国時代の16世紀にやって来たイエズス会の宣教師たちは天皇をどのように呼んでいたのだろうか。

フランシスコ・ザビエルとともに日本にやって来て、18年間、日本で宣教したコスメ・デ・トーレスは

    「日本には、聖権的な絶対指導者が存在する」

と記録し、その存在を三人称的な「彼」と表記している。このトーレスが「彼」としたのは天皇のことであろうという説が濃厚だ。(聖書でも神のことを彼と表現するので)

また織田信長と親交のあったルイス・フロイスは天皇を「Dairi」(ポルトガル語)と表現していた。Dairiとは「内裏(だいり)」のことで天皇を指している。(お雛様の歌でもお馴染みだ。)

日本ではいつから天皇と呼ばれるようになったのか

「天皇」という呼び名が一般化したのは、明治時代以降だ。

その理由は、明治政府が天皇を中心とする新国家体制を整備する段階で、対外向けの「天皇」という名前を一般化させたからだ。つまり「天皇」は中国などの対外向けに作られた漢語表現で、また法的な称号でもあったので、日本国内では、普段から使われていた呼び名ではなく、あくまで対外的な意味で、新たなに作られた言葉だった。

ではそれ以前はどのように呼ばれていたかというと、天皇は御所を表す「内裏(だいり)」(先ほどのルイス・フロイスの時代から変わっていない)と呼ばれたり、御所の門を表す「御門(みかど)」と呼ばれていた。

だから「みかど」に皇帝の「帝」の漢字を当てたのもやはり、中国を意識した対外向けの表現であったと考えられる。

また時代劇の中では「天子様」という表現を聞いた人も多いだろう。

こういう状況があったので、ルイス・フロイスは天皇を「Dairi」と表記したのだろう。だから、16世紀の段階では天皇を「エンペラー」とする表記はなかったことがわかる。

天皇は本来は「キング」に近い存在?

皇帝は一般的に、広大な領域を支配する君主で、複数の地域や国、民族の王を配下に持つ者に使われる言葉だ

つまり、たくさんの王を纏める王の頂点が皇帝なのだ。その意味では、天皇は明治時代以前、日本一国の君主でしかないので、皇帝よりも王に近いと言える。

他にも言葉に内在している意味からでも同様に言える。

「王」を意味する英語の「king(キング)」やドイツ語の「König(ケーニヒ)」は、古ゲルマン語の「kuni(クーニ)」が変化したもので、この「kuni」は「血族・血縁」を意味する。だから英語やドイツ語などの「王」には「血族・血縁」という意味が表裏一体のものとして内在されている。

王は「血族の長」として、1つの部族をまとめ、さらに1つの民族をまとめ、一定の領土を支配領域とすることで、最終的に一国の君主となるという考えだ。

一方、皇帝は血縁に関係なく、実力者がなるという前例が数多くあった。ヨーロッパでは、ローマ帝国時代から優秀な者を養子に迎え、帝位を引き継がせ、実力者が武力闘争やクーデターによって皇帝となることもあり得た。

しかし、前述の様に、王になるためには必ず血統の正統性が要求される。

だから、ナポレオンは皇帝になれても、王になることはできなかったというのはそういうことだ。皇帝は王よりも格上の存在であり、ナポレオンは格上の皇帝になることができても、格下の王になれなかったというのは一見、矛盾した話のようだが、こうした背景があるからだ。

ただし、神聖ローマ皇帝位をハプスブルク家が世襲しはじめる15世紀には、皇帝にも、血統の継承性が重んじられるようになり始め、各国の王位の継承性とバランスを取ることが慣習的に定着していった。

そのため、ナポレオンが19世紀初頭に突如、皇帝と名乗ったことはヨーロッパの保守派の間では到底、認められるものではなく、ほとんど嘲笑の的だったという。

ということは、「万世一系」の皇統を持つ天皇は、血統による正統な君主という意味でも、「キング」の訳を当てたほうが適切なのかもれしれないと思うだろう。

しかし、天皇には他にも大事な聖職者の役割があり、「キング」とは異なる人物であることや、天皇が中国皇帝に対抗したという歴史的経緯もあり、前述のケンペルをはじめとする欧米人たちは天皇を「エンペラー」と見なし、そのような称号で扱うことを一般化し、国際儀礼としたということだ。

天皇とはなんぞやへの回答

では、上記の様な歴史的背景を理解した上で、それでは『天皇とはなんぞや?』という外国人への質問にはどの様に答えたら良いのかを考えよう。

天皇というものを簡単に総合的に説明するとなると、以下の様になると思う。(これはアメ見た的に考えた解釈なので、一例として見て欲しい。)

天皇とは、、、

欧米諸国でいうところのキングの様に、ある一国の最高君主であり、更には神道の聖職者の最高位(大神主)であり、その権威は万世一系で126代途切れる事なく血縁で続いていた世界一長い王朝の最高権威にあられる御方。しかし、政治や軍事の面での国の采配は将軍に委ねていた時代が長く、武力による力任せの権力者ではなく、最終判断権を持つ権威の存在として敬意を集める日本人の精神的な支柱的な存在。

となるだろうか。

これをアメ見た英語で説明するとなれば、、

”Tennoh” is the supreme sovereign of a country, just like a king in Western countries, and also the highest-ranked Shinto priest called O-Kannushi sama.

His highest authority in the world’s longest dynasty has continued uninterrupted for 126 generations through blood relations. 

However, there was a long period of time when the leadership of Japan in terms of politics and military affairs was left to the Shogun.  

Tennoh is not a man of power with enormous force of arms, but rather a pillar of spiritual support for the Japanese people who respect him as a supreme authority of the nation. 

今度の参考にしていただけたら嬉しい。

さて、昨今は、眞子内親王とKKこと小室圭さんのご婚約の件で、その不自然とも言える数々の彼の家族関係や金銭問題が公に明らかになるにつれて、今まで皇室に関してさほど興味がなかった一般人にも、この日本が守ってきた万世一系の血統の重要性ということを初めて知ったという人が少しづつだが増えているのは、不幸中の幸いだと感じる。

ツイッター上でアンケートを取ってみたら、驚く様な結果が出た。(これをマスコミが同じようなアンケートをとったら、結果は見事に反転すると思う)

わたしをフォローしてくださっている様な問題意識が高い人の周りだからこの様な結果になったのかもしれないが、それを差し引いてもかなりの人が女性宮家の危険性まで認識できているというのは素晴らしい事だ。

日本を古から日本たらしめてきたのは、何と言ってもこの皇室の存在だ。

この日本国の背骨とも言える歴史の重みをどうにか壊したい反日勢力があちらこちらで魔の手を使って、画策している。

ここを崩されたら日本は長く続いた大和民族の日本国でなく、ただの日本列島の中にある極東の島国になってしまう

何とかしてこの重要性を認識できる人を増やしていきたい。

(戦前の日本人は当たり前のように教育されていたのだが、、)

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