2011年3月11日に突如、東日本を襲った大地震と大津波から10年が経とうとしている。
もう10年か。。まだ10年か。。
人々の思いはそれぞれだろう。
わたしはあの日のことを今でも鮮明に思い出せる。突如、入っていた国際ニュースで見た津波の衝撃な破壊的映像に家族一同が絶句した。
あの時に沢山のアメリカ人にねぎらいの言葉をいただいた。きっと多くの人は地震がどういうものかも知らない人ばかりだろうが、大津波が家も街も自然も全てを飲み込んで行く映像は本当に恐ろしいものに見えたことだろう。
しかし、いただいた言葉の中でも一番衝撃的だったのは
【日本人の規律の素晴らしさ】
だった。
拍子抜けして
『え?そこ!!?』
とその時は思ったが、時間が経つにつれて色々と話を聞いていくと、どうも国際社会は皆、そこに驚いているらしいことがわかった。
世界では天災が起こると同時に略奪と暴動が起こる。日本人の感覚からしたら意味が分からないことかもしれないが、本当にそうなるのだ。普段は隠れている人間の卑しい部分がここぞとばかりに露呈する時なのだ。
しかし日本はまるで違った。
老いも若きもお互いが協力しあい、無い者同士が励まし合い、助け合っていた。救助を待つ姿勢も規律正しく、皆、自分よりも更に弱い人を探して優先していた。涙が出るほど悲惨な状況下にあっての、涙が出るほど美しい姿勢だった。
普段は見えない日本人の美しさがここぞという程、現れた時だった。
このことが日本でも報じられたことで、改めて世界の日本を見る目というものを知り、日本人の誇りを取り戻した人も多くいたらしい。
さて、この未曾有の事態のために、来日してコンサートを開く予定だった海外のビッグアーティストは皆、キャンセルした。国内のアーティストも自粛する人が多かったし、規模を小さく人もいた。
私はこんな時こそ、アーティストというものは自分の音楽の才能で皆を元気づけて欲しいと思うのだが、海外アーティストのキャンセルは理解できないわけでもない。
しかし、そんな時でも予定していたコンサートを全て慣行したビッグアーティストがいた。
わたしが昔から敬愛していて、大好きなシンディ・ローパーだった。
彼女は
「わたしの前世は日本人だったかもしれない」
と言うほどの親日家としても知られている。
この時の彼女のエピソードがとても美しいものなのでご紹介したい。
シンディは2011年3月11日の午後、成田に到着予定だった。飛行中に大震災が起こったため、予定より7時間遅れて横田基地に緊急着陸した。ホテルに着いたのは翌朝の4時を回っていた。余震が続く中、関係者はツアー中止や、緊急帰国案を話し合っていた。
シンディは悩んだあげく、最終的には「日本に勇気をあげたい❗️」とコンサート会場には募金箱を設置を提案し、ツアー決行を決めた。
コンサート会場では照明をできる限界まで落とし、節電をファンに呼びかけた。また会場に来ることができなかったファンにはチケットの払い戻しまでしてくれた。
それだけではなく、自分の日本への励ましの思いを届けるために、急遽インターネット配信によるライブ中継をしてくれた。これらはシンディが提案し、無料で行われた。
彼女の思い通り、日本中に癒しの声が届けられることになった。
コンサートでは、ある曲の前にシンディが白いマントを羽織った。

彼女のハードな黒づくめの服にはなんともちぐはぐなコーディネイトだ。
しかし、彼女が後ろを振り向いた時にそれは何かがわかった。
日本国旗だったのだ。

この時になぜシンディが日の丸をマントにしていたかという理由にもとても素敵なエピソードがある。
コンサートを予定通り全て決行すると発表したシンディに、ある日本人ファンから彼女に手紙が届いた。
シンディ、あなたの立場を私は理解しています。分かった上で、私はあなたにお願いがあります。でも、あなたが嫌なら断わって下さい。 ここに日本国旗があります。
この国旗には、被災者の方、東北地方のあなたのファン、今回のツアーに来れなかったファン、被災にあって家族の安否がわからない私の友人 色々な思いが込もっています。あなたにシャインを歌う時に背中に背負って欲しい。
だめなら、このまま、広げずそのままにして置いて下さい。
シンディはその手紙通りに日の丸を身に纏い、「日本が大好きよ」といってシャインを歌ってくれた。
シンディはコンサートの最後で日本人に一番、人気があるというTrueColorsという曲(これは私も昔から大々大好きな❤️な曲の一つ)を歌ってくれたのだが、その曲の最中にこんなことを話した。
今夜はこんなにたくさんの人が来てくれて本当に感謝しています。私たちは日本の人たちを精神的に支えることができたらいいなと思い、災害中でのコンサートを決行することにしました。東京で不安な心境でいる人、仙台で津波の被害に遭われた人たち、日本にいる全ての人に対して、今は一人ひとりが立ち上がり、一丸となって支え合うことが大切だと伝えたいです。私たちが一緒になれば、お互いを支え合いことができます。地球はひとつ。みんなつながっているんだから。私たちが国を作り、わたしたちが世界を作るんです。我々に力を!(こぶしをあげながら)そして、もう一つ覚えておいて欲しいことは、パワー(力)は心と頭にあって、そのパワーのおかげで私たちは聞いたり、感じたり、話したりすることができるんです。だからこのことを覚えおいてね。(ここからTrueColorsの曲に戻りながら)♪みんなに見せましょうよ。あなたの本当の色を。本当の色を。たった一つの美しい、虹のように美しいその色を♪

そして『おやすみなさい。』と日本語で言って、会場を去っていった。
わたしは単純に彼女の歌声や曲が好きでファンだったのだが、この東日本大震災での彼女の行動に【シンディ自身のTrueColors】を見て、好きだったのは曲だけでなくその中に表れた彼女の魂だったのだとわかってとても嬉しい気持ちになった。
そして、シンディが親日家であるには、ちゃんと理由があった。シンディも日本人に優しくしてもらった経験があったのだ。
彼女がニューヨークでプロのアーティストを目指してウダツの上がらない頃、『ミホ』という日本食レストランで働いていたことがあった。定職もなくブラブラしていたシンディにそのレストランを経営している鈴木サクエという日本人女性と出会い「そんなんじゃ駄目だから自分の店で働きなさい」と誘ってもらった働くことになった。鈴木さんはシンディに限らず、シンディのバンド仲間やまだ活躍していない様々なアーティスト達を助けていたという。彼女はいつもシンディに「いつか売れる日が来るから頑張りなさい」と励まし続けていた。
この鈴木さんとの出会いがシンディを超親日家とも言われるほど日本びいきにしたという。
売れない下積み時代に優しくしてくれて、励まし続けてくれた日本人女性との出会いがあり、シンディが世界的アーティストとなり、その恩を忘れずに、日本がとても辛い時に励ますことを決意してくれたシンディ。
世界は繋がっている。
という先の彼女の言葉はこの日本人の出会いにまで遡って言ったのかな?と勝手に想像してしまうくらい素敵なエピソードだなと思った。
新字体・現代仮名遣い版 世紀の遺書 愛しき人へ/ハ-ト出版/巣鴨遺書編纂会