もくじ
反日映画に対抗
平昌オリンピックでの日本人選手の金メダル獲得の嬉しいニュースで埋もれてしまっていたが、日本にとってもう一つ嬉しいニュースが海外から舞い込んできた。
八木景子さんという日本人女性監督がデビュー作「ビハインド・ ザ コーブ 捕鯨問題の謎に迫る」というドキュメンタリー映画を2015年に製作したが、その映画が2月17日に反捕鯨国のイギリスで開催されたロンドン・フィルムメーカー国際映画祭で長編ドキュメンタリー最優秀監督賞を受賞したという。
この映画は「ザ・コーブ」という映画のカウンター映画として制作された。
この元々の「The Cove」という映画は2009年にアメリカで公開された映画だ。
和歌山県の太地町で行われるイルカの追い込み漁を描いた超反日映画で、2009年にはアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。
私も当時に見たが、その時はとにかく内容とその伝え方に不快感しか覚えなかった。太地町でのクジラ漁がいかに残虐なものかというのを、海を嘘の血で染めてグロテスクに表現していた。
しかし、その当時はあの映画が反日プロパガンダのために作成されたことも、反日団体なるものが世界中に組織的にあるなども知らなかったので、ただあのような映画が世界に拡散され、
日本に対して間違った悪い印象を持ってしまうアメリカ人が増えるのではないだろうか。
という一抹の不安を抱くことしかできなかった。
アカデミー賞まで受賞して話題になったにし、こちらのレンタルビデオ屋では何故か無料貸し出しの棚に置かれてあったので周りのアメリカ人でも見たことがある人が結構いた。
その映画の話が出た時に、
ということを日本人として論で対抗できなかった事に今ではとても悔しい気持ちになる。
映画製作の裏にいる反日団体
今ならあの映画を作った背後にある反日団体の名前(シーシェパード)もその人達がどのような人物であるかも知っているからだ。
捕鯨問題にしても世界では日本以外に行っている国もたくさんあることも、そもそも捕鯨問題すら実は日本叩きをするための架空の問題であることも今では知っているからだ。
そもそも日本人でも聞いたこともないような、日本の中でもとても小さな漁師町である太地町のことなど、どこかとネットワークがないとアメリカ人が知る由もないだろうし、その様な地域であのような大掛かりな映画を作る事などできるわけがない。
あの小さな町を舞台にイルカ漁反対運動をする為に居座っている外国人とそれに協力している日本人は反日団体の潤沢な資金を受けているのだ。
この人達は本当に動物愛護の気持ちで活動しているわけではない。
関わりがあるシーシェパードは、アメリカと日本両国からエコテロリストと呼ばれている反捕鯨団体だが、この人達はイルカのことなんて本当はどうでも良い。ただの反日活動家だ。
日本人は彼らの言う「動物保護」なんて軽い言葉に騙されてはいけない。
そもそも乱獲の限りを尽くした捕鯨のやり方で、世界のクジラを絶滅の危機にまで追い込んだ西欧諸国の人達に、我々日本人が伝統的にしかも自然のバランスを考えながらとても謙虚に行ってきたクジラ漁についてとやかく言われる筋合いがあるのか。
実際、現在ではクジラが増えすぎて海の生態系に問題が起こっていることが指摘されている。
クジラは物凄い量の他の魚を食糧とするわけだから、クジラが増えすぎると人間が食べる魚も減ることは誰でも分かる。
「ザ・コーブ」は当初から色々と制作の仕方で(嘘情報を意図的に使う)問題が指摘されていたが、八木景子さんが数か月に及ぶ地元の皆さんとの生活の中でしっかりと行った現地調査に基づくカウンタードキュメンタリー映画を作ったことで「ザ・コーブ」の欺瞞を暴いて下さり感謝している。
そしてその映画がロンドンの国際映画祭で最優秀賞を受賞したことは、当時、悔しい気持ちをうまく現地人に表せなかったいち日本人としてとても嬉しいニュースだった。
日本や海外各地でも上映をしているようだが、劇場に足を運べない人はDVDを見て、捕鯨の現実を知って堂々と反論できるようになって欲しい
ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~ [ ルイ・シホヨス ]
追記)太地町に行って来た!
この動物保護団体の皮を被り、反日活動をするシーシェパードが今でもウロウロとしている太地町に行ってきた。
美しい海に囲まれた、とても綺麗でこじんまりとした平和な時が流れる素敵な漁村だった。
太地町の歴史
今では静かな空気が流れる小さな町だが、江戸時代は紀州藩の保護もあって(当地の豪族、和田家一族の忠兵衛頼元が尾張師崎(知多半島の突端)の漁師・伝次と泉州堺の浪人伊右衛門とともに捕鯨技術の研究を進め、慶長11年(1606年)太地浦を基地として、大々的に突捕り法による捕鯨を始める)古式捕鯨発祥の地としては天下にその名をとどろかせていた日本の捕鯨の歴史的にも重要な場所だった。
しかし、明治に入って西洋式捕鯨法が導入され、鯨の回遊も減少し、太地捕鯨は次第に衰退の途を歩み始めたが、「くじらの町」としての在り方はその後も変わらず、古式捕鯨の伝統を受け継ぎながら近海での小型捕鯨が続けられている。
だから反日に狙われたのだろう。
こんな小さな所まで来て、丁寧に暮らしている街の人々の暮らしを邪魔してまで、あんな捏造反日映画を作り、アカデミー賞まで取ったのかと思うと、色々な反日の繋がりにとても腹立たしかった。
街のある女性に人に聞いてみた。
あー、なんかいつもいますね。なんか色々やっているみたいですね。
その彼女は明らかにあまりそのことについては話したくないという顔をした。
くじら博物館
さて、太地町にはくじら博物館がある。
捕鯨の歴史について詳しく学べる資料館では、日本人がどのように捕鯨をしていたか、そしてくじらのひげに至るまでいかに丁寧に使っていたかということも学べる。
いるかやクジラのショーなども行っているので、お子さんと一緒に行っても十分、楽しめる。
最後にクジラ肉バーガーを頂いた。