もくじ
メダルは日本の業績じゃない発言
平昌五輪のフィギュアスケートで、羽生選手が金メダル、宇野選手が銀メダルと日本選手が輝かしい成果を上げたことで、日本全国津々浦々の国民が歓喜の声を上げている際に、メディアやメディア御用達のジャーナリストなりが、
メダルは選手個人の業績であって、日本すごい!と他の人が喜ぶのはおかしい!
と水をさすような言動が湧いていたのを覚えておられるだろうか。
日の丸を背負って、世界と見事に闘った日本人選手に対して「日本人凄い!」と日本人が歓喜して何を文句を言うことがあるのか?
選手達は、、
日本人代表として日の丸を背負い日本人の誇りをかけて闘っている。
世界舞台で華々しく活躍する選手の健闘に、
よし!自分も頑張ろう!
と日本人が勇気を貰ったり、歓喜することにわざわざ水をさす言動をする人達の心は余程ひねくれているように見える。
あの人達の目的は何なのか?
“日本代表“として選ばれた羽生結弦選手が、国際舞台で他国の選手たちを相手に非の打ち所のない最高の演技をし、金メダルを獲得した事を自分のことのように喜び、素直に「おめでとう」という言葉が出てこないあの日本語を話す人達は一体、何者なのだ??
それに「自分の成果」であろうが、その成果を上げられたことを周りに感謝することが普通にできるのが日本人のはずなのに、この様なおかしな発言をする人が、その日本人の伝統的な価値観を歪めようと必死に仕掛けてきているようだ。
テレビではカットされる国旗掲揚
また、日本人のオリンピックメダル授賞式の際の日の丸掲揚と君が代斉唱の場面がカットされて放送される局があるという。
おかしいではないか。
金メダルを勝ち得た者、一人にしか与えらない国旗掲揚と国歌斉唱の誇り高き機会の瞬間をしっかり放映し、国民に見せないないというのはどういう意図あってのことなのか。
例えば、アメリカ人は自国旗を背負って闘った選手が健闘すると、その血統が日本人であれ(フィギュア男女ペアで素晴らしい演技を披露した日本人男女はアメリカ代表として出場した)「アメリカすごい!!アメリカ最高!!」となる。
これは普通の反応だ。
最近の日本は本当に異常な人がメディアを騒がしていることがわかる。
勿論、金メダルは選手の才能と努力の賜物である。
しかし「日本すごい!」と共に歓喜する人達が自分も貢献しているなんて傲慢なことは誰も言っていない。
練習できる環境、応援してくれる人達やスポンサー、その様な才能を生んだ遺伝子等々含め、その選手が花開く土壌を作ったのが日本である事は紛れもない事実である。
そして、その事は選手が一番、理解できて感謝していると思う。
様々な境遇にある世界の選手達と触れ合い、自分達との違いを一番肌で感じることができるのは彼らだから。
テレビで見て楽しむだけの我々は、国家のお陰と実感できない人が多いのかもしれないが、
実際にサポートを受けて練習できる選手はその環境の良さに「お蔭様で」と感謝している人が多いのだろうな。
と今回の件を改めて考察していくうちに思った。
日の丸を床に置くことをしなかった羽生選手
羽生選手が演技後のインタビューに答える際のあの場面を胸に焼き付けている方も多いと思う。
手に持っていた大好きなくまのプーさんのぬいぐるみはさっと躊躇なく床においたが、腕にかけていた日の丸に気付いてとっさに
「誰か~!日の丸は、これだけは床におくことはできないから。」
としっかり声に出しながら日の丸を代わりに持ってくれる人を探した光景が映像で流れた。
私はその映像を見た瞬間に涙が溢れ出た。
23歳という若き青年が、実は本来なら当たり前のことなんだけれど、とても自然に、しかし堂々と国民にその姿を見せつけてくれたことに、わたしは感謝した。
何故ならこれを見て気付いた人も多かったと思うから。
国旗とは国民にとって敬意を表すべく対象である
ということをあんな短い瞬間に気付かせてくれる人もなかなかいないだろう。
私も胸を張って言いたい。
羽生選手ありがとう!!
貴方のような素晴らしい方が同胞であることがとても嬉しく誇らしいです。
これからも頑張って下さい。