日本を離れてから
「あれ?もしかして??」
気になり出したことがあったのだけれど、考えてみたら記事として書いたことがなかったことに気がついた。
日本の人気ドラマのテーマだ。
私は祖母と一緒に暮らしていたのだが、小さい時のことを思い出すと学校から帰ってきたらお茶を飲みながら一緒にその時間に放送しているテレビドラマを見ていた記憶が蘇る。
昔、流行っていたドラマと言えば、刑事もの、サスペンスもの、時代劇もの、家庭ドラマ的なものが多かったと思う。あとは純愛系のラブドラマやラブコメディも人気があった。
どちらかと言えば、勧善懲悪、親子愛、熱い友情、心あたたまる人間関係というものがテーマになることが多かった。
それがいつからだろう。
破壊的なものがテーマになるようになっていった。
例えば、
不倫、離婚、いじめ、毒親、家庭崩壊、学級崩壊、自⚫️をふくめた精神病
それは社会の問題を扱っているからだという指摘も当然あるだろう。または視聴率狙いという側面もあるだろう。
しかし、外から見ていると日本には面白い傾向がある。
ドラマが流行るとそのドラマの中でのことが流行るのだ。
・離婚を扱うドラマが流行ると離婚が増える。
・家庭内別居のドラマが流行るとそういう熟年カップルの別居率が増える。
・「シングルマザー」をかっこよく描くドラマが流行るとその数が増える。
憧れの俳優さんや女優さんが出ていたり、番宣をしていたら、そのドラマの中の人になりたくなる人も増えるようで、まるでドラマに支配されているかのように見えることがよくある。
特に日本では、人気ドラマの流れを作る時は、コマーシャル、電車内での広告、町中至るところでのポスターや広告、ラジオ、テレビ、SNSなどで流れを大きく作ることができる。
ダークなテーマを扱っていても、番宣で明るく見せることも可能だ。
この流れはテレビ離れが加速した今、ネットドラマでも更に大きくなっている気がする。
日本は何かにつけてトレンドを作りやすい国なのだ。
ネトフリで流行っているというとそれがトレンドになる。ある商品をインフルエンサーが良い!と推すとそれがすぐに完売するくらい流行る。
ドラマの中で撮影された場所は「聖地」と呼ばれ、ファンが押し寄せる。
「推しかつ」という言葉も同じような意図をもって作られた気がする。
ということは逆を返せば「今度は〇〇を流行らせよう」と考える人たちが裏にいてもおかしくない。
そういう目で見てみると、日本のドラマの中にはおもしろいくらいに、ダークサイドの意図が見えてくる。
増える外国人犯罪への批判が高まり始めると「外国人犯罪に見せかけていたけど実は日本人が犯人でした」というシーンを入れる。
若者の政治への関心が集まり始めると「政治家は全部だめ❌」という印象を植え付けて、選挙にいっても意味がないというイメージを植え付けるシーンを入れる。
芸能人の整形疑惑などに批判が集まると「整形いいじゃない」というポジティブなイメージを植え付けるドラマが作られる。
歳の差交際が問題視されると「歳の差を乗り越える恋愛ドラマ」が流行らされる。
などなど数限りなくあるが、どれも社会で生まれる批判の声の口封じにうまく使われている。
「あの人気ドラマでも〇〇だったから、いいんじゃない?今はなんでもOKな時代なんだし」
という風に。
日本は日本人が思っている以上に新しい意見にオープンで、多様な価値観に寛容なところがある。
それは日本人の八百万の神信仰の流れのせいもあるのかもしれないが、それが逆にうまく利用されているように見えるのだ。
かつては日本でも各家庭でかっこたる躾があったり、親が厳しかったりと、不自由の中の自由を必死で求めながら生きてきた若者が多かった。
しかし今はどうだろう。
なんでも自由
なんでもあり
おもしろいければよい
他人に迷惑をかけても自分がよければ良い
目上の人の意見なんてうざいだけ
嫌いな人にはいじわるしてもよい
確固たる心の指標も誰から与えられることもなく、次々にめまぐるしく変化していくトレンドを追っかけ続ける。いつもグラグラしながら流行りをおいかけ、周りに置いていかれないようにと焦り、頑張る。
そしてそれが本当に自分のやりたいことなのかどうかもわからなくなる。
これは楽に生きられるように見えるけれど、不健康で極まりない状態だし、このような風潮で育てられる若者は精神を病んでも不思議でない。
そんなことを話しているうちにまた新しいドラマが始まった。。。



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