コロナ対策として、日本では毎年恒例だった地域の祭り、盆踊り、花火大会などなどが軒並み中止になっている。それだけでなく、何年に一度の大きな祭りまでも中止になっているという。そういうことを聞くと、祭り好きの私としては何ともとても切なく悲しい気持ちになる。
祭りが生む躍動感、エネルギー、共同体として生きるという一体感の素晴らしさを知っているだけに、日本人としての共同体意識がこういうことからも崩されていくのか、、と落胆してしまう。
アメリカでも去年は自粛が強制的なものだったので、毎年恒例の様々な行事は中止になった。人が集まるようなフェア(祭り)やコンサート、演劇などは全てキャンセルになり、とても寂しい年となった。
しかし、今年は違う。ほぼ一昨年と同じような状態で、人々は集まりや様々なイベントを楽しんでいる。
なのに、日本だけ、しかも、世界でも類を見ないくらい上手く抑えこめてきた優秀国家の日本がいまだにマスク率は99%以上で、緊急事態宣言が敷かれ、自粛ムードが続いているという。
一体、この違いは何なんだろうか。
私は、日本に暮らす日本人も祭りが中止されたりしていることをさぞ哀しんでいるだろうと思っていたら、実はそうでもない人もいるということを知って、とても驚いている。
友人から聞いた話では、田舎に住んでるその方の親戚は、「祭りなんてもうやらなくていい」と言っている。
祭りのたびに地域で支援したり、寄付をしなければならない負担もあるからという理由らしい。
田舎の人ほど、祭りが「なくなった方がいい」とか「今年は中止になってせいせいした」と言っているという。
そしてこの様なことをいう人は総じて、東京オリンピックの開会式や閉会式に何の違和感も感じていない層と被っているという面白い偶然にきづいた。
これは、まさに日本人としてのアイデンティティクライシスに陥っていることをよく象徴していると思う。
何も考えずに生きてるお花畑の日本人は、マスクをしろと言われればするし、💉を打てと言えば疑いも何もなく打つ、コロナ禍だから店を閉めろと言われたら静かに閉める。どのことに対しても、デモなど皆無だ。
自虐教育とマスコミの洗脳で平和ボケにさせられてしまった日本人の思考停止・無感覚化はほぼ「完成」しているのかと思ってしまう。
日本人の文化・思想をよく表すお葬式も、コロナ前より、簡素化が進んでいるという。これは市街地より田舎の方が急速に簡素化しているのだ。
その上に人の集まりを禁止するコロナの影響で、冠婚葬祭の全てにおいての簡素化が加速されてしまった。結婚式は分からないが、お葬式の簡素化は恐らくもう元に戻らない気がする。
少子化で墓を引き継ぐ人がいないため「墓じまい」も加速しているとニュースで見た。
こうして、日本人なら日常の生活をさておいても皆でこれをやるぞ!という共同体の行事が消えていっている。
共同体意識はこうやって一気に消滅していくんだろう。
今や、皇室の存在と日本語以外、日本人全員が共有するものがあるだろうか。
しかも、この最後の砦まで、女系論や英語教育の導入によって壊されそうとしている。
このまま何も考えない人達を野放しにしておけば、政府に
「少子化を解決するには、経済を回復するには、外国人移民をいれるしかないのだ❗️」
と一大キャンペーンを張られてしまえば、何の違和感もなく移民を増やすことに賛同し、増えたら増えたらで、その人達に参政権を与えるという話になっていくことは目に見えている。
そして、時間が経てば経つにつれて、日本人と日本は完全に消滅する道筋に乗ってしまっている。
「祭りなんてもうなくていい」という日本人の話を聞いたとき、日本はもうダメなんじゃなかろうかと心が折れそうな思いになった。
その方は例外的に日本人としてのアイデンティティが希薄なのかもしれないという意見があるかもしれないが、本当にそうだろうか。
その時に私は東京オリンピックでの様々な問題が頭に浮かんだ。無事に開会式から閉会式までができたことは本当に嬉しいし、ほっとしている。しかし、事前のゴタゴタは忘れていない。
あんなに素晴らしいと世界から称賛されていたKIMONOプロジェクトの乗っ取りから中止、それに代わるかのように直前に発表されたとにかくダサいメダルを渡すボランティアの人たちの衣装、元々の開会式を演出するはずの人達に代わった電通系の演出家の起用、数々の人の解雇、中山副大臣とユダヤ団体とのやり取り。これは全て直前に起こったことだ。
いざ開会式となっても、違和感の連続だった。
・なぜ天皇陛下の椅子が他の参列者のものと同じなのか
・その椅子の並びがなぜ並行なのか
・陛下がお話になられてからおろおろと立ち始める小池都知事や菅総理の何とも恥ずかしい醜態
・日本らしさが感じられない演出の数々
・BLMやLGBTなどの政治的プロパガンダを取り入れる
本当に枚挙にいとまがない。
これらのオリンピックの一連のことに違和感を持った人はまだいいが、何も疑問に思わなかった日本人も少なくないのではと思う。
実際は日本人アスリートの活躍が目覚しく、日本はそこでは応援に燃えた人が多かったようだが、その素晴らしいアスリート達の活躍の裏で起こっている日本破壊にはどこまでの人が気づけていただろうか。
これは何度も言ってきているが、先祖や過去からのつながり、伝統・文化を大事にしない民族に未来はない。
わたしは希望は持ち続けたい派だが、だからこそこうやって書き続けている訳だが、まだまだほけ〜っとお花畑で花を摘んでいる人の数は圧倒的だ。
理想は持ちたいが、現実的な対策としては、とにかく目覚めた人や気づいている人達が団結し、とにかく過去から綿々と繋いでこられた日本の伝統・文化を少しでも、僅かでも残すというのが現実的なのでは思う。
味方の数はもちろん多い方が良い。だからこれからも声を上げ続けていこうとは思っている。
わたしの声がもっともっと多くの人に届き、更にはその人の心の奥底に響いてくれることを願って。
【今回は『東京五輪や夏祭りの中止から見える日本の現実の姿』について語っていきました。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
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