もくじ
世界中に広がる#Metoo運動と反動
米国を中心にSNSでセクハラ被害の告発運動「#MeToo」が始められた。
この告発運動はフランスを含む欧州や日本にも広がっている。
これに対して、過度なフェミニスト運動やセクハラ告発運動にくさびを打ち込むべく、フランスで女優として高い地位を保ち続けるカトリーヌ・ドヌーブさん(「シェルブールの雨傘」「昼顔」、また日本人監督の是枝氏による映画『The Truth』で知られるフランスを代表する女優)を始め、女性作家ら100人がルモンド紙に連名で寄稿したことが話題になった。
と訴え、セクハラ告発キャンペーンの行き過ぎに警鐘を鳴らした。
元TBS山口記者を準強姦の罪で訴えると突如、記者会見を開いて一躍有名になったあの「詩織さん」もこの#METOOキャンペーンの仲間に入り海外の新聞やメディアでも取り上げられた。
カトリーヌさんらは
としたうえで、「膝を触ったり、軽くキスしようとしたりしただけで男性は制裁され、失職を迫られている」と現状を嘆いた。
「男性にもっと自由を与えないとだめ。誰もがピューリタンみたいになったら、身も心も貧しくなってしまう。ルックスや体を褒めるのがどうして悪いの?」
とアメリカでの騒動に対して皮肉的なコメントを寄せた。
また、セクハラ告発の行き過ぎは
と評した。
アメリカのフェミニズム運動が日本に
アメリカでは昨年秋、ハリウッドの大物映画プロデューサーであるハーベイ・ワインスタイン氏が女優やモデルにセクハラで告発された後、それに続いて、加害者と名指しされた芸能人の契約打ち切りや、議員の辞職が相次いだ。
このニュースを見て、まず思ったのが「やっと女性からの声が上がったか」ということ。
私はアメリカのフェミニスト運動が日本に飛び火して来てブームのように広がっていった何十年も前からどうも違和感が拭えなかった。
女性は男性より絶対的に弱い地位であると既成事実のように女性を貶めておきながらも「弱いものいじめする男性を成敗しよ」と強気で訴える女性達がどう見ても女性の味方に立っているように見えなかった。
何よりもまず日本においては西欧のように女性が虐げられた歴史などない。
西欧では(西欧だけでなくお隣の大陸や半島の文化でもそうだが)確かに女性が人間扱いされないような歴史を辿った経緯があり、財布も持つことができず、銀行口座も開くことができないという環境にあった。
それに比べ、日本の女性は言葉からも分かるように「上さん」やら「お袋さん」と敬意を示した愛称で呼ばれ、江戸時代には家計を握っているのが当たり前だった。
これは実は世界を見渡せば驚きの事実なのだ。今でもアメリカでは銀行口座を持たせてもらえない女性などいくらでもいる。
日本は古来より女性を大切に守ってきた国だった。
それなのに歴史を共有しないアメリカで流行ったからと日本人が同じように真似しているのが滑稽に見えた。
あんな過度なフェミニスト運動によって本当に女性が幸せになったのか甚だ疑問である。
フェミニズム運動で歪められた社会
日本男性はどうだろうか。
元々、下に見ていたわけでもなかった女性達が突如、牙をむき始め、少し愛着を見せればセクハラだと訴えられる時代になってしまった。
電車に乗れば獣のような目で見られる息の詰まる社会。
日本の男女がお互いを疑心暗鬼の目で見るギスギスした関係を助長されることになってしまったのではないかと危惧している。
過度で不必要な女性過保護は必ず男女間の亀裂を生み社会がおかしな方向に向かう。
もう実はその風潮が出てきているから反対運動が生まれてきているのだろう。
フェミニスト活動家達の過激な主張法はどうも賛同できない。
女も男も強い面もあれば弱い面もある。
フェミニスト運動を先導して男性をこけにする女性が、過激に男女同権を主張したり、男を馬鹿にしたり、変態呼ばわりして、例えば、その闘いにおいて男に勝ったとしよう。
その勝利の後、その女性は本当に幸せになるのだろうか?
お互いが上でも下でもない、それぞれの良い所を生かしあう関係が理想だと思う。
お互いの強弱を補い合える社会が一番、どちらの性にとっても健全なのにな。。。
とこのニュースを見て改めて思った。