もくじ
話合いが無駄な人達
日本政府が言い続けてきた
他の国々とは話し合えば分かる
があまりに非現実的な事は一般人の私でも分かる。
悲しいかな、世の中には話し合っても無駄な人がいるのだ。
私は
と強く思う一方で、反対側の人達はそこに全く価値を見出していない。
安い労働力を外国から入れるために、日本を多民族国家に仕立て、一般日本国民に我慢を強要することで、自分達が金儲けをする政策を推そうとしている。
守りたい物や得たい物が真逆の人に理解してもらおうとしてもらちがあかない。
あちら側の人達が、異国の持ち込む文化を日本人がもっと理解を示し、ボーダレスにより大量に入ってくる外国人(正確には中韓人)が、より日本に住みやすい国にしたいという思想を強く持ちながら活動する方がいる中、
私は日本はその開き過ぎたドアから怒涛のようになだれ込んでくる異文化を既に受容しすぎて国家がぐらついているのを危惧している。
我慢をするのは外国人であるべき
社会の常識はその国の文化、思想や住む人の好みで長い時間かけて醸成される物だ。
だから、異国の地で暮らす外国人はその常識が違えば違う程、その国に馴染む不断の努力が必要になる。
わたしはアメリカに長く暮らしているが、どうしてもアメリカ人の考え方や生き方に合わなくてイライラしたり、落胆することがいくらでもある。いや、日常茶飯事だ。
だからといって、わたしはアメリカ人に日本人のように生きろなどと強要など絶対にしない。それは傲慢というものだからだ。
アメリカ人が日本文化をより深く知っていけば、共感できることが増えていき、そこから日本の文化を取り入れるということは大いにあると思っているが、それもアメリカ人が自分の意思でやっていけばよいと思っている。
わたしは日本式の生き方が良いと思っても、外国にいるのだということを常に意識して、郷に入っては郷に従え精神で生きていた。これからもずっとそうして生きていくだろう。
しかし今の日本では外国人がその不断の努力をしているというより、日本人が不断の我慢を強いられているように見える。
日本は異文化に受容的過ぎて自国の文化さえ忘れかけている。
ボーダレス社会になるのなら日本人が我慢するのでなく、
エリート官僚の弊害
「話し合えば分かる」は中韓とそれらの国と波風を立てたくない日本の官僚の言い訳、言い逃れでもある。
話合いは両者が相手の言い分を理解したいという歩み寄りがあり、相手を尊重するからこそ成り立つ。
事大主義のかの国を甘やかしてここまでつけ上がらせたのは、紛れもなく我が国の外務省の円満外交のせいだ。
国境がここまで開いてしまった世界で外交をするというのは、本当に生きるか死ぬかの瀬戸際のせめぎ合いなのに、相手の主張ばかり優先してこちらは大人の対応と高をくくる事は本当に害でしかない。
元々、相手の意見など屁とも思わず、結論ありきで自分達の利をどう多く得ようかと考えている敵国相手に話合いをするのは、日本のお坊ちゃまエリート官僚に任すのは無理な仕事なのかもしれない。
日本人として気概と誇りを持ってNOというべき時はNOと言える人材が欲しい。