日本に夏に帰ると凄く目につくのは、若い女の子の肌の露出の多さとスカート丈の短さ。
これを言うと「アメリカもかなり酷いだろう」と言われそうだ。
確かにアメリカの高校生も酷い子は酷い。
高校生だけでなく、大人も酷い。露出の多い、セクシーというよりは下品な恰好をいつまでもしている中年女性はいくらでもいる。
しかしそれは学校外での話だ。
学校では意外に服装はドレスコードというものがあり、色々と厳しく決まりがある。
例えば、暑い夏の時期でも
「ノースリーブはだめ、お腹が見えたらだめ、胸が開き過ぎたものはだめ」
等々、結構事細かなルールがある。
しかし、私が言っているのは日本の学生服の女の子の話だ。
「学校に行くのに何故そんな格好するの??」と疑問に思ってしまう。
私の学生時代を振り返ると、校則の縛りは嫌でスカート丈を短くしたい時もあった。しかし、その際にある程度の社会的地位や社会の目などを意識してどれ位なら許されるかとぎりぎりの線を考えたものだ。
そういう事を一切、配慮していないような恰好の学生服の女の子を見ると、『国連から来ました』という外国人のことを思い出す。
例えば、自称国連方面から来た人が日本の左翼活動家と共闘して言っていたことは、
「日本では高校生の35%が売春しています」
あれは余りに酷いフェイクニュースだったとはいえ、そう言われる責任の一端がある気もしてくる。
第一あそこまで自分の意志でスカート丈を短く捲し上げるだけ上げておいておきながら、「見るな」だの「男は変態!」だのと言っている女の子がよくいる。
しかし、この矛盾点を指摘するとそれは服装の自由だと言ってくる。
女側の風紀の乱れは服装の自由でスルーのか。フェミ女もそういう事は何も言わないし、何を着ても女性の自由であり、それを見ようとする男性が変態だという。はなはだ身勝手な話だ。
あるフォロワーの男性の方が、「男性車両も作って欲しい」と要望していてそれは確かにそうだと思った。
わたしが日本で初めて女性車両を見た時、被害者は女性のみと無言で伝える何か社会的圧力がある様な変な気持ちになった。
普段は女も男も同じと訴えている人がそういう所だけ弱者になるのは見ていて違和感がある。
勿論、痴漢は犯罪だ。
しかし、昨今、女性の人権が日本で叫ばれ過ぎるのはとても違和感がある。
フェミニスト運動する人は、歴史上、外国では女、子供はどう扱われていたか、対して日本はどうだったのかを再度よく勉強した方がいい。
日本は元々男尊女卑など概念が無く女が強い国だ。女が財布の紐を握るなど近代西欧でも到底、考えられないことだった。今でも自分だけの銀行口座を持たせてもらえない妻などいくらでもいる。
今の強い(強そうな)現代の女性と決定的に違うのは「女の権利、人権、男女平等云々」と自己顕示や責任転嫁をしなかったところだ。
強く、謙虚で、我慢強い
それが日本の大和撫子だ。
男性と女性は生物学でにも絶対に等しくなれない。だから何でも同じだと主張するのではなく、男も女もそれぞれの強さと弱さを理解し合うことが重要なのだ。
競争するのではなくそれぞれの性でしか出来ない事を尊重し補い合う関係が一番よい。
コメント
日本の平民については、家庭内では女性上位、外では男尊女卑と言うほどのものではないものの、基本的に男性上位だったと思いますが