財務省官僚の福田次官のセクハラ問題を受けて、社民党の福島瑞穂を中心に女性や男性の国会議員が揃いも揃って黒い喪服に身を包み、#ME TOO と真っ赤なプラカードを掲げて行った滑稽なパフォーマンスをよく覚えている方も多いと思う。
その少し前にアメリカのハリウッド女優達が口裏を合わせて、アカデミー賞授賞式に黒い服で登場して話題になったこと(これには気持ち悪いと非難の声も多かったが)の全くの真似事だが、唯一の違いと言えば容姿だろう。。
はっきり言って、気味が悪い。
財務省の福田次官にセクハラを受けたと訴える松原文枝氏は、テレビ朝日の経済部長だ。菅元官房長官に毎日のように意味不明な質問を投げかけ続けた東京新聞のあの望月衣塑子記者が最も尊敬する女性だという。
この松原という女性は報道ステーションで「安倍総理はヒトラー」との酷いレッテル貼りをする番組を作ってギャラクシー賞を受賞しているが、この人の配偶者は朝日新聞編集局長補佐の立松朗氏だ。
やはりここもしっかり繋がっている。
これに対して、自民党衆議院議員の杉田水脈氏が以下のようにツイッターで発言された。
すると、ここの返信欄はかなり荒れた。
杉田氏を女性の敵、ネトウヨ、差別主義者などと非難する声が何百件も寄せられた。
セクハラ関連ツイになると他の事より攻撃の量が何倍にもなる気がする。(自分への物も含めて)この中で本当の被害者はどれだけなのだろうか。
何度も言うが手段が有効でない。
喪服を着てパフォーマンスしても意味がない。本当に無くしたいならパフォーマンスでなく対処法を論じないと意味がない。
杉田氏のツイートに深く賛同した私はこれに対して、以下のコメントを残した。
昨今、全く同じ様な事を感じておりました。フェミニズムの行き過ぎについては色々と思うことありブログにも思いを書きましたのでご一読下されば光栄です。
すると、賛同いただけた方からは以下の様な返信を頂いた。
しかし、同時に立憲民主党支持者だという人達からも絡まれた。
その一部が以下の内容。
江戸時代にふれておきながら明治〜現行憲法制定前の民法上の女性の権利の実態をスルーしているのは何故でしょう?戦前は正に日本の女性が「虐げられてきた」歴史です。この認識から出発しない限り日本のフェミニズム運動や男女同権の意義を正しく理解出来ないでしょう。
何より、根本的な女性の参政権(当時の言い方だと「婦人参政権」)が戦後の1945年12月に認められるまで実現していなかったことについて、「アメリカから見た日本」さんはどうお考えなのでしょう?
勝手に女性の幸せを決めないでください。そもそもアメリカとはジェンダー意識と度合いすら土台からしてまっったくレベルが違いますのでこのような比較はおかしいです。ステージが違います。そしてセクハラをやめろとするのは過激なフェミニズムでもなんでもありません。
まず言っておきたいのは、私はセクハラを擁護している訳では全くなく、喪服を着て#Me tooと現役の国会議員がプラカードを掲げる事がセクハラが無くなる有効な手段だとは思えないと言っている。
痴漢Noといくら言っても無くならなかった。そして遂には女性専用車両ができるような社会になってしまった。
女性が活躍する社会を訴えるということは、女性と男性が一緒に働く機会をもっと増やそうということ。
では、今度は一体どうするというのだ?
セクハラがどうしてもなくならないからと、女性が訴えたら会社を男フロア、女フロアに分けるのか?
まったくもって手段がおかしい。
それから日本の社会的風土が欧米の男尊女卑社会とは全く異なる女性を大事に扱う文化であったと言っているのに、何故そこで婦人参政権が1945年12月まで無かったのだから日本は女性が虐げられていたことになるのか。。
更に、どうしても参政権の話をしたいのなら、日本の婦人参政権は世界的に見ても全く遅くもなし、戦前でも政府は既に検討していたという事実もある。
もっとも欧州で日本より早かった国があった理由は、第一次世界大戦時の労働力不足を補うという目的で付与した国が多くあるからという政治的背景があるからで、別段
「女性を大事に思うから参政権を与えよう」
なんていう左翼理想主義者が思い描くような生温い思想で実現されたわけでなない。
この件についてはまだまだ言いたいことがあるので、次回に回すとしよう。